刺激的なVTuber映画『白爪草』は、新たな映像ジャンルを開拓したーーヒッチコック的ともいえる良作について考える

 VTuberの電脳少女シロが主演する映画『白爪草』が“ひっそり”と公開されていた。

 とてももったいないことだ。もう少し公開範囲が広がり、メディアにも取り上げられたらと思わずにいられない、大変刺激的な作品だった。

 『白爪草』は、全キャストVTuberで構成されているサスペンス映画。ほとんどのシーンは一人二役で双子の役を務めるシロによる会話劇だ。ワンシチュエーションの会話劇ながら、上映時間72分の間退屈することは全くなく、巧みな演出と映画的に見事な芝居で画面にくぎ付けにされ、アニメとも実写も異なる新鮮な感覚に満ちていた。

 本作を見て、VTuberと映画は意外にも相性がいいかもしれないと感じた。『白爪草』はVTuberの映画俳優としての可能性を存分に感じさせ、実写とアニメでもない異なる映像ジャンルを開拓したかもしれない。

練られたプロットとスタイリッシュな編集で魅せる

 本作のあらすじは、以下のようなものだ。

 フラワーショップ《花組》で働く白椿蒼は、店主のもとでごく普通の静かな日常を送っていた。ところがそこに、服役を終えた双子の姉妹・白椿紅から 6 年ぶりに会いたいと連絡がくる。カウンセリングを受けながら日常を過ごしてきた蒼は、カウンセラー・桔梗に相談し、意を決し、姉妹の再会を決意する。フラワーショップ《花組》を再会の地として、花々に囲まれた一室で紅の来訪を待つ蒼。再会の不安から落ち着きのなかった蒼は、紅から逃げるように帰宅を考えるが、その時チャイムが鳴った。6 年前、姉妹に一体何があったのか、そして再会を果たした2人は何を話すのか。それぞれの想いが交錯しながら姉妹の人生が大きく動き出す。(公式サイトより)

 この双子をシロが一人二役で演じている。画面に映る登場人物はほぼこの双子だけで、カウンセラーなど他のキャストは声だけの出演となっている。舞台も花屋の中だけで、これが実写映画なら相当な低予算映画だろう。実際、コロナ禍で企画を立ち上げて公開までこぎつけているそうなので、本作も短期間であまり予算はかけずに制作したのではないかと思われる。

 しかし、予算がない分、アイデアがよく練られている。キャラクターモデルに多少のアレンジを加えるだけで、VTuberに双子を演じさせることができる利点を生かしている点、二転三転する物語を作り上げた脚本、3D空間の自由さを生かしたカメラポジションとカメラワークにスタイリッシュな編集も面白い。まず娯楽映画作品として完成度が高く、オリジナリティ溢れる作品に仕上がっている。

VTuberの分裂・増殖可能性がミステリーの古典ネタを輝かせた

 筆者が本作に特に関心を持ったのは、VTuberが演じたことにより本作のテーマ性が各段に説得力を増したこと、そしてVTuberの技術と芝居が意外にも映画の演技に合っている側面があることだ。

 まず本作のテーマについてだが、この物語は服役を終えた双子の姉、紅が過去を捨てるために妹の蒼と入れ替わりを画策するところから急展開を迎える。この「入れ替え可能性」というテーマを、生身の人間からバーチャルの外見に入れ替えたVTuberに演じさせる点が自己言及的だ。双子の物語を生身の俳優に一人二役で演じさせることも可能だが、生身の役者は実際には双子ではないことを観客は知っているし、生身の肉体に分身は存在しない。しかし、VTuberという存在は、外見を増殖させることが可能な存在だということが物語に説得力を与えている。

 分裂というとキズナアイの“騒動”を思い出す人もいるだろう。あの騒動は、VTuberのあり方として賛否両論を巻き起こしたが、ボディの分裂・増殖の可能性を示したという点で、試み自体はユニークだったと筆者は思う。それを本作では、フィクションの世界の双子という設定に援用して、生身の俳優の一人二役よりも強い説得力を生み出すことに成功している。フィクションの範囲内なら分裂してもキズナアイの時のようなハレーションは起きにくい。

 その他の事例としては、VTuberが出演したTVアニメ『バーチャルさんはみている』の2話で、「超級影分身の術」というネタでVTuberが増殖していくシーンがある。増殖と分裂というネタは、バーチャル存在の可能性の1つだ。この特性によって本作は、サスペンスとミステリーの使い古された常套手段である「双子の入れ替わりネタ」を再び輝かせることに成功した。

 キズナアイの騒動の時も、キズナアイとは何なのか、その存在の本質が大いに議論されたが、VTuberとはその本質はボディに宿るのか、内面に宿るのかという問いを投げかけていたように思う。さらに、本作では、双子という同じ外見の2人の入れ替え可能性に加えて、心理カウンセラーによる洗脳で内面すらも入れ替え可能なのではないかと問いかけている。VTuberにとって担当声優の交代事例もいくつかあったが、「中の人」が代わっても同じ存在なのかという疑問を抱いた人もいただろう。この物語は、双子の入れ替わりをVTuberに演じさせることによって、VTuberにとっての「自我とは何か」を間接的に問いかけているのではないだろうか。

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