『スパイダーバース』は写実の呪縛からCGアニメを開放するーー革新性手法に込められたメッセージを読み解く

 アニメーションは「絵」の連続体である。「絵」という言葉からどんなイメージを連想するだろうか。おそらく100人いれば100通りの絵を思い浮かべるに違いない。ルネサンス期の絵画を想像する人もいれば、浮世絵やピカソのキュビズムを連想する人もいるかもしれない。絵画の歴史は膨大であり、多彩なスタイルが存在する。

 では絵の連続体であるアニメーションと聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。おそらくだが「絵」を想像するほどイメージにばらつきはないのではないか。目の大きな日本のアニメか、ピクサーのようなCGアニメーションを思い浮かべる人が多いかもしれない。アニメーションと聞いて思い浮かべるイメージは絵画の多彩さに遠く及ばない。(もちろん、インディーズアニメーションにまで視野を広げると多彩なイメージにたどり着くのだけど)

 これはとてももったいないことだと思う。絵の歴史は映像よりも遥かに古く、それを用いる表現手法であるアニメーションが、わずかな種類のイメージに可能性を制限されてしまっているのではないか。アニメーションというジャンルはもっと多彩になれるはずだ。

 『スパイダーマン:スパイダーバース』は、そんな現在のアニメーション業界に風穴を開ける作品だ。フォトリアルなCG作品が席巻するアメリカのアニメーション市場に、全く異なるビジュアルを引っさげて挑戦し、アニメーションの「画風」の可能性を一気に押し拡げた。

 そのビジュアルスタイルは、たんに奇抜であるだけではなく、物語のテーマとも絶妙にリンクしており、ひいてはマーベル作品の生みの親、スタン・リーが大切にしてきた想いにも繋がっている。「スパイダーマンは誰でもなれる」とストーリーで語るだけでなく、それを技術レベルでも実現していることが本作を特別な傑作にした要因だ。

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