『ディスクロージャー・デイ』はなぜ賛否を呼んだのか? 宇宙的視点が描く世界融和の真価

この問いを解く鍵はいくつかある。まず注目したいのが、『未知との遭遇』だ。本作は、地球外生命体の存在を信じるようになった人物が、周囲の無理解や孤立を乗り越え、ついには奇跡的なコンタクトを果たす物語である。もちろん、娯楽映画としての面白さを追求した作品であることは間違いない。だが、それだけでは説明しきれないほど、スピルバーグがUFOという題材に並々ならぬ関心を注いでいたことが、製作の経緯からうかがえる。
彼はUFOに関する雑誌や新聞記事を丹念に調べ、目撃者を訪ねて証言を集めていた。さらには、UFOに関連する機密文書へのアクセスを求め、軍やNASAにも協力を要請したという。しかし、国防総省や空軍、NASAは、最終的に製作への協力を拒んだ。その背景には、地球外生命体の実在を肯定するような印象を与えることや、政府がその存在を隠蔽していると受け取られかねない映画の内容への懸念があったとされる。フォローが得られなかったことで、『未知との遭遇』がより孤立的で個人的なカタルシスを描く作品になったのかもしれない。
この経緯からは、当時のアメリカにおいて、UFOをめぐる言説が単なる空想や娯楽の領域にとどまらず、政府の情報隠蔽という疑念とも結びついていたことがわかる。同時にスピルバーグ自身が、そうした言説を映画の題材として利用するだけでなく、現実の目撃証言や公的機関の対応にまで踏み込んでいたことも見逃せない。UFOという存在への彼の関心は、映画作りのためのリサーチという言葉だけでは片づけられないほど、執拗なものだったのだ。同作の製作背景については、スミソニアン誌の記事で詳しく紹介されている。(※2)
本作『ディスクロージャー・デイ』では、地球外生命体の存在を“開示”するにあたって、人々の宗教観が障壁になり得るという問題にも踏み込んでいる。宇宙に人類以外の知的生命体が存在するという事実は、宗教的な信仰と必ずしも矛盾するものではないと説明し、両者の両立を図ろうとするのだ。
未知の存在が明らかになることで、既存の世界観や価値観が揺さぶられる……その際に、科学的な知見と宗教的な信仰をどう折り合わせるかという問題は、科学者が宇宙や人類の起源について語る際にも、しばしば配慮を求められてきた。新たな知識を受け入れるには、それまで信じてきた既成概念との衝突を避けられない場合があるからだ。
地球外生命体の存在をスペクタクルとしてのみ描こうとするのではなく、その事実が人々の信念や世界観にどのような影響を及ぼすのか、さらにはそれをどうすれば受け入れられるのかというところまで考えようとしている。そこには、スピルバーグが地球外生命体との接触という題材を、単なる物語上の仕掛けとしてではなく、観客を説得すべき問題として捉えているような、強い情熱が感じられる。
2017年に「ニューヨーク・タイムズ」紙は、アメリカ国防総省が秘密裏にUFOについて調査していたスクープ報道をおこなった。これは、『未知との遭遇』を撮ったときと非常によく似た状況である。実際にスピルバーグ自身も、この報道をきっかけにUFOへの関心が再燃したと語っている。
こうした彼の行動や言動、そして作品内での描写を思えば、スピルバーグ監督が単に娯楽映画のネタとして地球外生命体を消費しているわけではないことは理解できるはずだ。そもそも、観客に爽快さを提供するためだけに映画を撮っているのならば、本作のような“説得的”な展開や結末をわざわざ用意する必要はない。
そう考えるのならば、本作で描かれる、ある謎を媒介し、対立し合う国々が存在する世界を融和へと導いていくという、本作の考え方を、単なる作劇上のギミックや、ストーリー上の一応の着地点に過ぎないと考えるのは、さすがに乱暴だろう。
世界を考えたときに、スピルバーグ監督がいま表現者として頭を悩ませているのは、自身の出自が関係している、パレスチナ問題ではないだろうか。スピルバーグ監督のこれまでの社会的な姿勢から考えれば、その内容に切り込むべきなのだろうが、仮にそんな作品を撮ったとして、彼に真に中立的なものがいま表現できるかといえば、現実的には難しいだろう。不用意にイスラエルとパレスチナ両者のバランスを取ろうとすれば、批判にさらされることは想像に難くない。
一般的な観客が、報道で知るガザ地区の状況や、イスラエル政府や軍をいま支持するユダヤ系の人々が一定数存在する前提を踏まえると、名作とされてきた『シンドラーのリスト』(1993年)を見返したときに、イスラエルを希望として演出する趣向に、以前のように涙を流せなくなったと述べる観客も実際に出てきている状況がある。
そうした環境において世界と対峙するとき、スピルバーグ監督の突破口となったのが、地球外生命体の存在だったのではないか。地上の国同士の価値観や、宗教対立のような解決不能に見える出来事も、宇宙的な視野や価値観からすれば終止符を打つことができるかもしれない。それを文字通り、人類が到達できるかもしれない価値観や倫理観を示す希望と受け取るか、現在の状況に合わず具体性のないファンタジーに過ぎないと考えるかは、観客の判断次第である。
じつは、こうした考え方は、中国戦国時代の思想家・荘子の著述にも見られる。ある賢者が、戦争を始めようとする王に向かって、“カタツムリの左右のツノの表面に国が存在する”と仮定し、“実際の国同士の諍いもまた、宇宙から見ればそうした小さなスケールに過ぎない、取るに足らないものだ”という意味のことを説明した。これによって賢者は、戦争に向かおうとしていた王を呆然とさせたのだという。
古代中国の故事と、スピルバーグ監督が混迷する時代に提出するロジックが、偶然にもほぼ同じであることは、興味深い話だ。そしてそれは、世界や人類の状況が、戦乱の世とさして変わってないということでもある。スピルバーグ監督は、本作においてそれでも“人類を信じる”という選択を提示し、真実を開示する価値を語っている。
しかし、本作『ディスクロージャー・デイ』の内容が本当に人類に響くかどうかといえば、古代中国の故事の方がまだ人間的なのではないかと思わせるものがある。現在の世界を見渡して、果たしてそうした信頼に人類が値するか、宇宙的倫理に世界が目覚める希望があるかどうかは、考え込んでしまうところなのだ。
参考
※1. https://variety.com/2026/film/reviews/disclosure-day-review-steven-spielberg-emily-blunt-1236766709/
※2. https://www.smithsonianmag.com/history/whats-behind-steven-spielbergs-lifelong-obsession-with-flying-saucers-and-extraterrestrial-visitors-180988903/
■公開情報
『ディスクロージャー・デイ』
全国公開中
出演:エミリー・ブラント、ジョシュ・オコナー、コリン・ファース、イヴ・ヒューソン、コールマン・ドミンゴ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:デヴィッド・コープ
原案:スティーヴン・スピルバーグ
製作:クリスティ・マコスコ・クリーガー、スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮:アダム・ソムナー、クリス・ブリガム
配給:東宝東和
©Universal Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:https://disclosureday.jp
公式X(旧Twitter):https://x.com/universal_eiga

























