【追悼】女優・岸惠子 圧倒的なヒロイン力で“結婚の罠”を演じた唯一無二の存在

 女優の岸惠子が8月7日に93歳で亡くなった。主演映画『君の名は』(1953~54年)の大ヒットなどで知られる戦後日本映画史を代表するスターは、一体どんな女優だったのか。『姫とホモソーシャル』(青土社)などの著作で知られる映画研究者・批評家の鷲谷花氏はこう語る。

「“第二の岸惠子”が存在し得ないくらい、ユニークな存在だったと思います。大ヒットした『君の名は』にしても、当然その後似たような映画が大量に出たわけですが、主役のカップルである真知子(岸惠子)と春樹(佐田啓二)をコピーできたものはありません。岸さんは実人生でも、まだ日本人が自由に海外旅行できなかった1957年にいきなりフランスの映画監督イヴ・シャンピと結婚してパリに拠点を移し、かと言って別に仕事をやめるわけではなくしばしば飛行機に乗って日本に帰ってきて映画に出演するという生活を送った。そんなひとはそれまでいなかったわけで、“こういうステップを踏んでゆけばこうなれますよ”という道からいきなり外れるわけです」

『女優 岸惠子』(キネマ旬報社)

 そんな岸の大胆な行動力は、それ以前から国内でも発揮されていたという。

「そもそも彼女はスターになる前から、強大な映画会社が専属俳優を拘束していて、映画俳優は自分が出演する作品を自由に選べないのが当たり前だった時代に、19歳ぐらいで松竹を出奔して、鶴田浩二さんの独立プロである新生プロダクションの作品に人生をかけて出演するということもやっています。その後、一度松竹に戻って、『君の名は』の主演で大成功するわけですが、早くも1954年には文芸プロダクションにんじんくらぶを設立します。岸さんが久我美子さん、有馬稲子さんと女優だけのプロダクションとし立ち上げたもので、代表には岸さんの親戚筋にあたる元『改造』編集者の若槻繁さんが入り、名だたる作家を顧問に招いて文学作品の映画化を軸に据え、自分たちが出演したいと思えるような映画をちゃんと企画できる組織作りの試みでした。『君の名は』では問題解決能力が控え目なヒロイン真知子を演じましたが、実人生では問題があればすぐに抗議し解決していったわけです。いずれにせよ、普通の人間にはなかなか真似しようがない女優人生だったと思います」

 では、実際の出演作では岸はどのような魅力を見せているのだろうか。

「岸さんの最大の特徴は、そのとてつもないヒロイン力だと思います。大ヒットした『君の名は』は、じつは作品としては保留付きの評価をされることが多いですし、岸さん自身もどちらかと言うと『もうちょっと別のことがやりたかった』というような振り返り方をしています。しかし、岸さん演じた真知子は、やはり画面に存在する限り“ヒロイン力”としか言いようのない圧倒的な輝きを放っていて、それがこの作品を成立させている」

 岸が圧倒的なヒロイン力を見せた『君の名は』は、日本映画史のなかでも大きな意味を持つ作品だったという。

「全3部作の『君の名は』の公開が始まったのは1953年。日本映画史におけるこの作品の立ち位置を考えるうえで重要なのは、その前の10数年間は“ためにならない映画”の肩身が非常に狭い時代だったということです。戦時は総動員体制のなかで国策のためになる映画を作らなければいけませんでしたし、戦後の占領期は新しい民主主義の建設に役立つ映画が推奨された。女性の役割についても、戦時は“銃後の社会をまかせて安心の頼もしい女”が望まれましたし、占領期は民主主義にふさわしい解放された女になれという圧がありました。そんなロールモデル圧が強い時代にあって忌避されがちなのが、美男美女による大恋愛ものです。岸さんは占領が終わる直前の1951年にデビューし、本土の占領終了後の1953年に恋愛ものの『君の名は』でスターになったという点で、そういった時代のくびきから自由な場所から出発した女優だったとも言えるかもしれません」

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