『海街diary』はいかにして“家族”を描いた? 画面構成から読み解く是枝裕和の映像言語
縁側から庭へ、空間移動が語る“家族”への同化
また、「家の中(プライベート)」と「外(社会)」を繋ぐリミナル・スペース(中間領域)として機能する、縁側の演出も秀逸だ。
最初にすずが鎌倉の家にやってきたとき、彼女は一度自分の部屋に入って荷物を下ろし、そのあと縁側で蕎麦をすする。家の「内側」に自身の居場所(部屋)を確保した上で、内と外を繋ぐ縁側で食事をする一連の動線は、すずが早くも家族の一員として受け入れられたことを示している。
さらに物語が進むと、すずが一人で木に登って梅の実を収穫し、ほかの姉妹たちがそれを縁側から眺めている場面が訪れる。この秀逸な構図には、姉妹間の「守る存在」と「守られる存在」という関係性が視覚的に立ち現れている。縁側から温かい眼差しを向ける3人は、絶対的な庇護者だ。
とはいえ、すずはただ庇護されるだけの立場には留まらない。かつては外から来た存在だった彼女が、自ら縁側を降りて庭へと足を踏み入れ、木に登って恵みを自らの手で摘み取る。この能動的なアクションは、梅酒づくりという家族の大切な営みに自ら貢献し、この家で確固たる居場所と役割を獲得したことを表している。
そして終盤、姉妹全員で花火をするシーンに至っては、もはや境界線である縁側から完全に離れ、庭という開かれた空間へと移行する。縁側を起点とした空間的な移動と関係性の変化こそが、すずが本当の意味で家族になったことを雄弁に物語っているのだ。
カメラワークでも、緻密な計算が光る。家の中のシーンはフィックス(固定カメラ)を基本としつつ、すずが同級生の後ろに乗って桜並木の下を自転車で駆け抜けるシーンなどでは、流麗なトラッキング・ショット(移動撮影)を用い、閉塞感からの解放や青春の躍動を表現。
衣装のカラーパレットも見事だ。長女の幸は青や白などの寒色・無地で「責任感」を、次女の佳乃は派手な柄や肌の露出で「奔放さ」を表現。三女の千佳は、柄物やアースカラーを基調とした服装で、家族の潤滑油らしい「飾らない温かさ」を漂わせている。
そして、登場シーンから制服を着ていた四女のすず。それは、本来の子どもらしさを封印して、過酷な環境を生き抜いてきた「心の鎧」を視覚的に象徴したものだ。しかし姉のお下がりを身に纏うことで、次第に彼女は家族の風景に溶け込んでいく。
こうした緻密な空間・視覚設計のもとで描かれるのは、是枝監督が一貫して見つめ続けてきた「遺された者たち」の物語だ。夫の突然の自死によって取り残された妻を描くデビュー作『幻の光』(1995年)、母親に置き去りにされた子どもたちの過酷な日常を見つめた『誰も知らない』、不慮の事故で長男を失った家族の空洞を描き出した『歩いても 歩いても』(2008年)。
それは、最新作『箱の中の羊』においても変わらない。最愛の子どもを亡くした夫婦が、その喪失感を埋め合わせるかのようにヒューマノイドを迎え入れる。「遺された者たち」が抱える深い孤独と、そこから生まれる繋がりが、重要なテーマとして通底している。
喪失を声高な悲劇として消費するのではなく、縁側での語らいや食卓の風景といった日々の営みのなかに溶け込ませ、静かに昇華させていく。『海街diary』は、緻密な空間設計と映画的技巧によって切り取られた、極上のホームドラマだ。新作へと連なる是枝監督の温かい眼差しを感じながら、この映画の豊かな映像言語を余すところなく味わってほしい。
参照
※https://press.moviewalker.jp/news/article/59805/
■放送情報
土曜プレミアム『海街diary』
フジテレビ系にて、5月30日(土)21:00~23:10放送
出演:綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず、加瀬亮、鈴木亮平、池田貴史、坂口健太郎、前田旺志郎、キムラ緑子、樹木希林、リリー・フランキー、風吹ジュン、堤真一、大竹しのぶ
原作:吉田秋生『海街diary』(小学館『フラワーコミックス』刊)
監督・脚本:是枝裕和
音楽:菅野よう子
©2015吉田秋生・小学館/フジテレビジョン 小学館 東宝 ギャガ