石井裕也が“余命もの”のフォーマットを解体 『人はなぜラブレターを書くのか』の挑戦
現在の日本映画界において、観客の涙腺を刺激する、恋愛を題材に死別という要素を扱った作品や、「余命もの」というジャンルは、いまや一つの強固なフォーマットとなっている。最近も、『セカコイ』の国内外でのヒットを成し遂げた三木孝浩監督による『君が最後に遺した歌』が公開され、さらには作家性の強い山戸結希監督が、『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』を手がけることが発表されるなど、このジャンルは再び活況を呈している。
そんな状況のなか、綾瀬はるか主演、石井裕也監督の新作『人はなぜラブレターを書くのか』もまた、こうした死別という題材を描く一作として、この流れを加速させているように見える。これまで個人が社会のなかでサバイブしていく姿を描いてきた、石井裕也監督。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年)や、『茜色に焼かれる』(2021年)など、確かに近年は人の死を扱った監督作が印象に残るが、今回は実際の事故を基にしていることで、より企画的になりながらも、その重みを増しているという、複雑な内容である。
そんな本作は、実際の事故という重い要素をベースにしているからこそ慎重さが加わることで、余命、死別などといった、一見分かりやすい物語の枠組みに変化を与えている。そして、そうした事態に人はどう向き合うのかを、さまざまな角度から考え、独自の答えに到達した映画となっている。ここではその本質部分を明らかにしていきたい。
※本記事では、『人はなぜラブレターを書くのか』のストーリー展開についての記述があります
物語の背景にあるのは、2000年3月に発生した「営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故」という、凄惨な出来事だ。本作はこの事故で命を落とした当時17歳の少年、富久信介さんと、彼に密かな恋心を抱いていた一人の女性が、およそ20年の時を経て生み出した実話を基に構成されている。
事故から20年が経過した令和2年、信介さんのご両親のもとに一通の手紙が届く。それは、毎朝同じ車両で通学していた女性からの、時を超えたラブレターだった。車内で参考書を開く彼の端正な姿、自分を痴漢から守ってくれたこと。落ち着いて話すようなことすら一度もなかったが、彼女の心には、その後もずっと彼の姿が残っていたのだ。
そんな実話を映画化した本作は、それをベースとして、石井監督の手によるオリジナルストーリーが展開していく。劇中、綾瀬はるか演じる主人公である現代のナズナは、ある深刻な理由から、長い年月を経てラブレターを書き綴る。物語は、そこから大きく動き出し、過去と現在の時間の流れを往復し、交錯していくように描かれていく。高校時代のナズナを當真あみ、劇中の“信介”を細田佳央太が、精悍な姿で演じている。
気づかされるのは、この物語が意外にも恋愛のみにフォーカスしていない点である。ナズナの夫(妻夫木聡)と娘(西川愛莉)による家族の絆を示す場面や、ボクサーを目指していた信介の死後も彼の遺志とともに闘い抜いていく先輩ボクサー(菅田将暉)や、目をかけていたボクシングジムの会長(音尾琢真)、息子の人生を深く知ろうとする両親(佐藤浩市、原日出子)など、ラブロマンスにかかわらないドラマも同時に進行していくのだ。というより、恋愛は人生の一部にしか過ぎないのだと、この構成自体が主張しているようにすら感じられる。
石井監督やプロデューサー陣は、ボクシングジムの会長や、信介さんのご遺族のもとへ足を運び、対話を重ねたという。さらに、信介さんを弟のようにかわいがったという実在のプロボクサー、川嶋勝重氏の当時の記憶も物語の細部へと活かしたという。物語の核となる、そして手紙を書いた女性は、「信介さんと、そのご家族のためになるなら」という想いから、映画化を承諾したということだ。
そうした物語を視覚的に支えているのが、ロケーションと撮影時間へのこだわりである。ロケ地には、千葉県香取市佐原が選ばれている。監督自身がこの地の夕景に惹かれたことがきっかけだというが、劇中では限られた時間帯の光が、静謐な雰囲気をより高めている。こうした試みは、単なる絵ハガキのような美しさを追求したものではないだろう。