TVアニメ『呪術廻戦』第3期は稀有なシリーズに 物議を醸したアニオリ演出などから考察
TVアニメ『呪術廻戦』、第3期 第12話「仙台結界」が放送、配信リリースされた。この第3期の最終回をもって「死滅回游 前編」の幕が下されたのだ。第12話「仙台結界」は、なんと原作漫画・約7話分ほどの分量がギュギュっと圧縮。死滅回游「仙台コロニー」にて、乙骨憂太が次々に現れる強敵と戦う姿が、最終回に相応しくハイテンションで描かれて話題を呼んだ。
振り返れば、これまで以上にアニオリ(アニメオリジナル)演出が目白押しだった『呪術廻戦』第3期 。一部ファンの間では、その姿勢に対して否定的な意見も出たものの、終わってみれば、さまざまな意味で話題に事欠かなかった稀有なシリーズになったといえるだろう。ここでは、「死滅回游 前編」が終了した、このタイミングで、この魅力的な第3期を振り返り、疑問に思う点も包み隠さずに論評してみたい。
※本記事では、TVアニメ『呪術廻戦』のストーリー展開を明かしています
まず「死滅回游 前編」のスタートを華々しく飾ったのは、乙骨と虎杖悠仁が対決する、歌舞伎座の舞台だった。そしてそれに続く、チャント(掛け声)が印象的なKing Gnuの楽曲「AIZO」が、カオティックな魅力を増幅させていく。虎杖の仲間や大切な人々が次々に倒れていき、陰惨な内容が多かったといえる第2期の「渋谷事変」に比べると、絶望的な設定ながらも、「死滅回游 前編」は希望を感じさせる展開もある。「AIZO」は皮肉な歌詞ながら、そうした楽しさをも運んできた曲だった。
呪術界御三家の一つ「禪院家」の当主の座を狙った禪院直哉は、予想以上にブレイクしたキャラクターとなった。登場する時間はそれほど多くないが、アニオリ演出による、術式を繰り出しながらの余裕の“髪かき上げ”動作は、視聴者に大きなインパクトを与え、世界的にSNSでミーム化を果たした。「ドブカス」、「人の心とかないんか?」発言は、逆にイメージを極力壊さない丁寧さで、この性格最悪のキャラを愛情たっぷりに表現した。
第3話「死滅回游について」は、とくにアヴァンギャルドなエピソードだった。まず、呪術界の最大の実力者である天元を、シリーズのナレーションを担当していた榊原良子が演じているというのが面白い。これは、TVアニメ『ドラゴンボール』でナレーションを担当していた八奈見乗児が、劇中の登場人物「北の界王」を演じた趣向を想起させる。
そんな天元が、プレゼンかのように文字を空間に並べて、現在の複雑な状況と死滅回游の説明をしていく演出は、ファンのなかから「分かりやすい」との声も出た。しかし、本当にあの説明は分かりやすかったのだろうか。少なくとも初めてストーリーに触れる視聴者が、あれで十分な理解を得られるとは到底思えないのだ。この死滅回游の説明は原作漫画の時点ですでに分かりにくかったが、漫画は「読みもの」としての性質を持っている。読者の理解が追いつかなくなった時点で何度も読み返すことができるのだ。一方、何度も再生したり一時停止しなければ頭に入ってこないTVアニメ版というのは、映像作品の在り方としては、どうなのだろうか。
そもそも、死滅回游という残忍なゲームの大枠の説明も、この時点では十分にされていないと感じられる。多くの視聴者の理解が欠落した状態で、ルールの裏を掻こうとする話まで出てくるのは、さすがに辛いものがあるのではないか。こうした特徴は、とくに第3期全体に顕著だといえるだろう。例えば、この後の星綺羅羅の術式の説明や、死滅回游の参加者たちの説明も不足していて、“いま何が起こっているのか”、“そもそもこれは何時代の人物なのか”などなど、原作未読者には判断しかねる瞬間が何度も訪れるのである。隠された“謎”というよりは、説明の不足なのだ。
しかし、そうした説明不足は原作漫画にも見られた問題ではある。製作陣はここに至ってある程度開き直り、“よく分からないかもしれないが勢いで突破する”といった選択肢を選び取ったのかもしれない。不明な部分があったら検索したり考察などを読んでくれと。そういう態度が取れるというのは、もはやアニメ版の人気が定着している余裕から生まれているということだろう。また現代の視聴環境の便利さや、インターネットなどのサービスがさまざまなデバイスで気軽に利用できるようになった前提が機能しているからともいえる。
第4話「葦を啣む」は、禪院真希が禪院家を崩壊させていく刺激的なエピソードだった。真希が男たちを次々に殺害していく場面で軽快な音楽が流れる演出は、映画『キル・ビル Vol.1』(2003年)のパロディだ。『キル・ビル』シリーズの主人公「ザ・ブライド」の復讐劇と、真希の復讐劇を重ね合わせる試みである。
当該演出については否定的な意見も少なくないが、この点は製作側の苦肉の策であったとも考えられる。原作漫画からして一族郎党を惨殺していくという展開は、いかに真希や、双子の妹の真依が虐げられ殺されそうになったからとはいえ、非常に陰惨なものにならざるを得ない。これをある程度爽快感を感じさせつつ描くためには、明るく突き抜けていくような勢いが必要。『キル・ビル』のエクストリームなノリを借りることで、ようやく娯楽としてのバランスが取れたということなのだろう。
このエピソードには、原作者の芥見下々が釘崎野薔薇の過去の描写などでこだわってきた、とくに女性を抑圧する封建的、閉鎖的な枠組みを、ついに崩壊させるという意味で、シリーズ最高と言っても過言ではないカタルシスが存在している。そうした、あまりに陰惨だからこそ、逆にそれが“祝祭”といえるエピソードを描き得たのは、それだけで快挙だといえよう。