野木亜紀子の異色作となった『ちょっとだけエスパー』 生きることは世界を愛すること
前述したように本作は、兆を含め「世界と切り離された人たち」の物語だ。第8話で兆が「世界は四季を救わなかった。だから私が四季を救う。四季の世界を救う。私の世界を救う」と言うことから分かるように、本作において「世界」はそれぞれの主観によって異なる。
文太は会社をクビになったことで、会社と家庭という、彼のそれまでの世界を構成していたものから切り離された。桜介(ディーン・フジオカ)は殺人の罪を犯したために、妻・瑞希(徳永えり)と息子・紫苑(新原泰佑)と作るはずだった「幸せな普通の生活」から切り離された。それぞれの事情からすべてを失い、世界と彼ら彼女らを繋ぐものは何もなくなった状態で、「bit5」の面々が「藁をも掴む」ように手にしたのは、兆がもたらした「ちょっとだけ世界を救う」役割だった。
日々のミッションを達成することで「誰かの役に立つ=誰かと繋がれる」幸せの中にいた彼らが、信頼していた上司・兆からの「いらない人間」発言により、再び世界から切り離された時が、彼らにとってのアイデンティティー崩壊の危機、本作中の言葉を使えば彼らの宇宙の「ビッグバン」の到来だったのではないだろうか。それでも「目の前の四季ちゃんを救うってことなら分かるじゃない」という第2話の円寂(高畑淳子)の言葉どおり、「目の前の四季」や、クリスマスマーケットの事故で死んでしまう予定の34人の命を救おうとすることで、彼らは再び、世界と繋がることができるのだ。「サラリーマン」として誰かの指示に従うのではなく、自分たちで「救うこと」及び「生きること」を選んだ彼らの人生はそれだけで、少し切ないけれど、これからもきっと楽しい。
本作では「刹那」と「とこしえ」という言葉が何度も繰り返される。それは第3話終盤において、文太と四季が線香花火をする場面にも重なる。線香花火の「はかない一生」、それこそ「刹那」的な美しさの中に、日本人は「蕾」「牡丹」「松葉」「散り菊」という変化を見つけ、そこに「とこしえ」、つまり「永遠」を見出す。最終話の終盤において、半年分の記憶がなくなった四季が、「愛してた」という感覚だけを抱いてそこにいる。たとえ四季の世界から、“ぶんちゃん(文太)”と仲間たちがいなくなっても、愛した日々はずっとある。
文太たちの掛け声が、四季が抜け4人になったことを示す「ビットフォー」ではなく「ビットファイブマイナスワン」になったのは、そこに四季がいたことを永遠に残そうとする彼らの思いだろう。それもまた、白い男(麿赤兒)が言う「全ての刹那はとこしえに繋がる」だ。未来を変えられるのは「今、ここにいる者」であり、「過去ではなく、未来を形作れる者」なのだというあまりにも力強い言葉を抱いて、私たちは今を生きる。生きることで、世界を愛する。それが『ちょっとだけエスパー』の答えだと思った。
■配信情報
『ちょっとだけエスパー』
TVer、Netflix、TELASAにて配信中
出演:大泉洋、宮﨑あおい、ディーン・フジオカ、宇野祥平、北村匠海、高畑淳子、岡田将生
脚本:野木亜紀子
監督:村尾嘉昭、山内大典
エグゼクティブプロデューサー:三輪祐見子(テレビ朝日)
プロデューサー:貴島彩理(テレビ朝日)、山形亮介(テレビ朝日)、和田昂士(角川大映スタジオ)
音楽:髙見優、信澤宣明
制作協力:角川大映スタジオ
制作著作:テレビ朝日
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