ジム・モリソンを再び見つめ直す 『The Doors: When You’re Strange』が突きつける問いかけ

 ことほどさように、当時の「雰囲気」や「空気感」を、なるべくそのままの形で描き出すことをテーマとした本作だが、その語り口は、ある意味、初心者にとっても非常にわかりやすいものとなっている。ジム・モリソンと、ドアーズの要であるオルガン奏者、レイ・マンザレク(1939年~2013年)の出会いから、ジョンとロビーを交えてドアーズを結成するに至るまで。さらには、デビューから間もない成功と、ステージに立ったジム・モリソンが見せる圧倒的なカリスマ性――ジョニー・デップのナレーションは、あくまでも淡々と「ことの次第」を解説してゆくのだった。

 その詳細は、映画本編に譲るとして、ここで改めて指摘しておきたいのは、ドアーズが活動した期間が、アメリカにおけるカウンターカルチャーの隆盛と、ほぼ一致しているということだ。もちろんドアーズは、必ずしもそれを代表するアーティストではない。むしろ、彼らの深い内省と、暗闇から湧き出すような激しい衝動は、ラブ&ピースの「陰画」として、熱狂的に求められていたように見受けられる。不遜で挑発的な「ダークヒーロー」としてのジム・モリソン。ステージにおけるその奇矯なふるまいに、観客は何よりも熱狂した。あるいは、ジム・モリソン自身が、観客が求めるものを真正面から受け止め、それを誰よりも魅力的に演じていたようにも思える。

 ドアーズが活動していた頃のアメリカは、カウンターカルチャーの時代であると同時に「暴力」の時代でもあった。本作でも描かれているように、ドアーズの活動が絶頂期にあった1968年のアメリカは、公民権運動の指導者であったマーティン・ルーサー・キングの暗殺や、ケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ上院議員が暗殺された年でもある。その翌年には、カルト集団「マンソン・ファミリー」による女優シャロン・テート殺害事件もあった。ジム・モリソンが、度重なる警察とのトラブルの果てに、ステージ上で性器を露出した罪に問われて長期の裁判を強いられたのは、ちょうどその頃だった。そしていつの間にか、時代は大きく変化してゆくのだった。

 1969年、べトナム戦争からの撤退を掲げる共和党のニクソンが大統領となり、「公序良俗」が再び強く求められるようになったのだ。「ロックスター」であったジム・モリソンは、その罪状が確定するころには「パブリックエネミー」――「社会の敵」に変わっていた。そして1971年、彼はパリで謎の死を遂げるのだった。そんな「ことの次第」に今の観客たちは、果たして何を思うのだろうか。翻って、冒頭に書いた「ピープル・アー・ストレンジ」である。おかしいのは「彼」だったのか、はたまた「世界」のほうだったのか。あるいは、その両方だったのか。今、この映画を観ることの意義は、「ロックはどうして時代から逃れられないのか」という問いと共に、ジム・モリソンという稀代の「カリスマ」を再び見つめ直すことにある。だがそれは、彼の奇矯さをいたずらに消費するためではなく、私たち自身の「世界の奇妙さ」を映し返すためなのかもしれない。「ピープル・アー・ストレンジ」の問いかけは、半世紀を超えた今もなお、観る者の心に突きつけられているのだ。

■公開情報
『The Doors: When You’re Strange』
12月4日(木)より、TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開 
※座席販売は12月1日(月)24:00〜開始(一部劇場を除く)
脚本・監督:トム・ディチロ
出演:ジム・モリソン、レイ・マンザレク、ジョン・デンスモア、ロビー・クリーガー
ナレーション:ジョニー・デップ
配給:カルチャヴィル
約96分/4K DCP ※スクリーンによって2K/FLAT/5.1ch
鑑賞料金:2800円
©︎2010 Doors Music Co. and Rhino Entertainment Company, a Warners Music Group Company.
公式サイト:https://www.culture-ville.jp/thedoors
公式X(旧Twitter):@Culture_ville

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