『TOKYOタクシー』は至福の時間旅行映画 倍賞千恵子×木村拓哉の“視線の交わり”を読み解く
こうした情緒的で、一歩間違えば水っぽくなりがちな筋書きであっても、良い意味で淡々と運んでいくのはロードムービーとしての特性であり、タクシーという空間の特殊性ともいえるだろう。偶発的に巡り会った運転手と乗客――両者の間には“目的地へ向かう”という契約が交わされ、途中でどこかに立ち寄るのも契約のひとつであり、限りなく手続き的に交わされるものである。なにより、運転手は運転席に座り、乗客は後部座席に座る。両者のあいだに必然的に生じる空間的・位置的な隔たりは、単なるドライブシーンとはまるで意味が異なるのだ。
時に振り返ったり俯いたり覗き込んだりしたとしても、往々にして走行中の車内で繰り広げられる会話というのは同じ一方向――概ね正面の、観客に話しかけるかのように投げかけられる。ある意味でそれは、小津安二郎的な構図に近しいものもあるかもしれない。劇中で運転手と老婦人は何度か下車するが、言問橋のモニュメントで手を合わせる時も、上野で不忍池を眺めながらベンチに腰掛ける時も、二人はやはり同じ方向を見ているのだ。
しかし終盤で、横浜に立ち寄りレストランで食事をする時に二人は向かい合って対話をする。そのシーンで初めて、二人のかわす言葉は観客に向けられたものではなく極めて親密な二人だけのものとなる。そしてそこから葉山の老人ホームにたどり着くまでの道のりでは、老婦人は助手席に座るのである。
非常に興味深いのは、それまでの運転手と老婦人の構図――すなわち後部座席の老婦人が、運転席の運転手の後ろ姿を見続けているという構図は、劇中で何度もプレイバックされる老婦人とその息子の関係によく似ていること。まだ幼い息子が最初に登場する喫茶店のシーン、彼は壁に向いたカウンター席に座っており、老婦人(といってもここではまだ若き日の蒼井優の姿であるため、婦人としておこう)に背を向けている。結婚後の茶の間のシーンでも、息子は婦人のいるベランダの方へと背を向けており、折檻の痕を見つけるシーンでも同様に、婦人は背後から息子の秘密を知ることになるのだ。
葉山へと向かう車のなかで、息子のことを語りたがらなかった老婦人は、自分が刑務所に入っているあいだに彼が亡くなったと話す(オリジナルではベトナム戦争への従軍だったが、こちらでは仲間とバイクに乗って事故に遭った)。彼女にとって愛する息子との最後の別れは、ガラス越しだった上に、目も合わせてもらえなかったのである。そうして老人ホームにたどり着き、料金を払っていないことに気が付いた老婦人は、運転手のもとに引き返すのだが、二人の間にはセンサーでは開かない無情な自動ドアが立ちはだかる。二人はそのガラス越しに、目を合わせながら再会の約束を交わす。ここでもまた、運転手は老婦人の息子の代わりとなる。まるで半世紀ほど前の忘れ物を取り戻すかのように。
■公開情報
『TOKYOタクシー』
全国公開
出演:倍賞千恵子、木村拓哉、蒼井優、迫田孝也、優香、中島瑠菜、神野三鈴、イ・ジュニョン、マキタスポーツ、北山雅康、木村優来、小林稔侍、笹野高史
監督:山田洋次
脚本:山田洋次、朝原雄三
原作:映画『パリタクシー』(監督:クリスチャン・カリオン)
配給:松竹
©2025映画「TOKYOタクシー」製作委員会