『ちょっとだけエスパー』は“愛”を教えてくれる 野木亜紀子が描く人間の美しさと残酷さ

 『ちょっとだけエスパー』(テレビ朝日系)第3話終盤で「世界はたやすく変容する。思いどおりとは限らない。その枝はもろくはかない」と兆(岡田将生)は言った。その台詞は、次の場面で四季と文太(大泉洋)が手にしている線香花火の儚さと重なる。点火した瞬間、次々と形を変えていく線香花火の変化の過程を見つめている四季(宮﨑あおい)が、段階ごとに「蕾」「牡丹」「松葉」「散り菊」と言う。それを見て「はかない一生だね」と言う文太とともに、視聴者もまた、線香花火の「はかない一生」の濃密さを、改めて思わずにいられない。野木亜紀子脚本『ちょっとだけエスパー』は、そんな脆く儚く、移ろいやすいこの世界の、もしくは人間の、美しさと残酷さを映し出そうとする。

 TBSドラマ『アンナチュラル』『MIU404』『海に眠るダイヤモンド』の野木亜紀子が脚本を手掛ける本作は、大泉洋演じる会社をクビになったサラリーマンが「“ちょっとだけエスパー”になって世界を救う」という任務を与えられ、仲間と共に奮闘する「ジャパニーズ・ヒーロードラマ」である。同時に文太が働く会社「ノナマーレ」には「人を愛してはならない」というルールがあるにもかかわらず、彼を自分の夫だと思い込んでいる“妻”四季との間に生まれつつある恋の行方を描く「SFラブロマンス」でもあるのだろう。

 しかしなんと現実味溢れた「ヒーローもの」だろうか。「これまでの人生、世界に見捨てられて生きてきた」のだから「世界なんてどうでもいい」と思っている人々が、何の役に立つのか分からないささやかな特殊能力を得て、何が何やら分からないままヒーローとしての奮闘を試みるという物語なのだから。

 なかなか実感の沸きづらい「世界を救う」という任務に対して「目の前の四季ちゃんを救うってことなら分かるじゃない」と第2話の円寂(高畑淳子)が言うように、第3話は、神社のお祭りで起きた爆発事故に際し、文太と桜介(ディーン・フジオカ)が、目の前にいる、かつての自分のように父を見失い迷子になっている少年と、桜介の息子・紫苑(新原泰佑)を咄嗟に救おうとすることで「かつての自分」を救おうとする話だった。

 「ちょっとだけヒーロー」だからといって彼らは神様のように万能ではない。第2話で文太たちは、生活が苦しく、「世の中への復讐のため」に贋作ビジネスに手を染めようとした画家・千田守(小久保寿人)を止めることに成功した。だが千田の肩に置かれた「天使の手」こと文太たちの懸命な妨害活動は、彼らの預かり知らないところで、千田の人生を皮肉な形で終わらせることになった。

 第1話において、文太が初めて自分のエスパーを知った時、道行く人々の「心の声」を聞いて回りながら、これまで知らなかった世界の楽しい一面を知るような高揚感ゆえ、あるいは自分しか知らない世界がある優越感ゆえ、横断歩道の白い部分をスキップするように軽やかに踏む。だが、次の場面では、人の心の奥から零れ出る悲鳴を聞いてしまう。「しんどい」「死にたい」「俺以外楽しそう」「なんで生きてんだっけ?」。人々の苦しみに触れた彼は疲弊してしばらく落ち込んでいる。つまり、文太の目を通して本作が描き出そうとするのは、この世界の、まだ見ぬ美しさと哀しみの光景なのかもしれない。

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