『秒速5センチメートル』から『君の名は。』へ 新海誠のキャリアをつなぐ『言の葉の庭』

 新海誠監督作品『言の葉の庭』(2013年)が、10月31日、フジテレビ(関東ローカル)にて放送される。松村北斗主演による『秒速5センチメートル』の実写版が好評な今こそ、この作品を観ることには大きな意味がある。

 『ほしのこえ』(2002年)や『秒速5センチメートル』(2007年)などの初期新海誠作品は、基本的に主人公のモノローグ多めの内向的な作品群である。登場人物たちも総じて物憂げで、笑顔も寂しげだ。そして、主人公とヒロインは結ばれなかったことを示唆して終わる。人によっては日常生活にも影響が出るほどに、精神的ダメージを食らいすぎる。

 だが、『君の名は。』(2016年)以降、モノローグを封印し、主人公たちも見違えたようにアクティブになった。続く『天気の子』(2019年)も『すずめの戸締まり』(2022年)でも活劇チックな展開がなされ、ラストは主人公とヒロインの再会で終わる。希望にあふれている。根底には終末感が漂ってもいるし、『すずめの戸締まり』での震災の直截的な描き方には、賛否も分かれた。また『天気の子』での東京は、いつか完全に水没するだろう。だが、それらの“負”の部分を忘れてしまうくらい、エンタメとして文句なく面白い。

 新海誠の初期作品群と『君の名は。』以降の作品群の間には、大きく深い河が横たわっている。だが、この大河を繋ぐ橋のような作品がある。それが、本作『言の葉の庭』である。

新海誠のキャリアをつなぐ『言の葉の庭』

 主人公である秋月孝雄は、雨の日の午前には授業をサボり、庭園の東屋で靴のデザインを考えることにしている。物語は他の初期作同様、彼のモノローグで進んでいく。だが、不思議と彼のモノローグには、暗さがない。彼には靴職人になりたいという明確な目標がある。どことなく諦念に支配されていた他の作品の主人公とは違い、目にも光がある。

 孝雄は、ある雨の日にいつもの東屋で、雪野百香里という年上の女性に出会う。きちんとスーツを着てはいるが、朝からビールを飲んでいる。彼女もサボりのようだ。しかし、自堕落な感じは一切しない。姿勢も良く、笑顔にも知性が感じられる。ビールのつまみがチョコレートという点も、なにやらミステリアスで神秘的だ。「雷神の すこし響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」と、和歌を呟いて去っていく。

 孝雄は、雨の日を心待ちにするようになる。彼女に会えるからだ。高校生男子が、定期的に出くわす謎めいた年上女性を意識してしまうのは当然とも言える。それまでの新海誠作品の主人公は、思いを内に内に押し込め、諦念とともに自己完結してしまう傾向があった。だが孝雄は、自己完結しない。若さゆえの空回りを交えながらも、もがき、あがく。その点が、それ以降の新海作品の主人公とも共通するところである。やはり彼は、“橋”なのだ。

 雪野が雨の朝の東屋にいるのは、また「うまく歩けるようになるため」だ。雪野がうまく歩けなくなった原因、雪野が心に傷を背負う原因を作った人物を、孝雄は訪ねる。そして孝雄は、「ちゃんと」ケンカをする。暴力に訴えることを肯定する気は、まったくない。だが、あそこはケンカをしなければいけない局面だ。好きな女性の名誉と尊厳を守るためなら、暴力もふるわなければいけない局面だ(※筆者個人の見解です)。近年、ウィル・スミスが妻を揶揄した司会者を殴り、物議を醸したことがあった。この行為の是非もここでは問わないが、その映像を観て、孝雄を思い出した方もいるかもしれない。

ウィル・スミスとクリス・ロックの「オスカー平手打ち事件」 経緯と処罰を時系列で検証

アカデミー賞のテレビ生放送中に起きた“オスカー平手打ち事件”から12日後、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の理事会が4月8日…

関連記事