『ばけばけ』の副読本として読みたい谷崎潤一郎『陰翳礼讃』 “内”と“外”の物語の凄み
おそらくどんな人にでも、怖い話、いわゆる日本的怪異譚の「怪談」に親しんだ記憶があるだろう。
NHK連続テレビ小説『ばけばけ』は、怪談を世界に知らしめた小泉八雲と、彼の創造の源泉となったひとりの女性の物語だ。本作の主人公となるのは、現在の島根県にあたる出雲・松江の旧家である松野家の一人娘・おトキ(髙石あかり)。序盤から第4週までは、彼女の生い立ちにはじまり最初の結婚までが描かれた。
本作がこれまでのNHK連続テレビ小説の中でも異色なのは、「~なんだけど」「いや~でしょ!」といった、登場人物たちの台詞回しや会話の“間”、発言に茶々を入れる(いわばツッコミの)タイミングが、ほぼ現代ドラマと変わらないトーンであることだ。もちろん明治を迎えた時代なので、昔言葉や方言も採用されてはいるが、特に感情が乗るシーンではかなり現代的でリアルなセリフが飛び出す。
興味深かったのは第3話だった。初めての商いであるうさぎの商売でひとやま当てようとしたトキの父・司之介(岡部たかし)が、興に乗り「わしは松江いちのうさぎ長者じゃぞ!」と言うシーンで、岡部たかしが「うさぎちょうじゃじゃじょ!」と明らかに噛んでしまい、もう一度言い直している。NGでカットしてもいいシーンだとは思うが、むしろそのまま使われていることにより撮影現場の生々しいグルーヴが感じられて、それがそのまま現実のリアルに繋がっているところがある。私たち現代の視聴者も、ドラマにシンクロしやすくなっているのだ。
『ばけばけ』は、新しい空間設計や撮影スタイルによって伝統的な美しさが表現されている点でも目を見張るものがある。チーフ演出を務めた村橋直樹のインタビュー(※1)によると、通常、朝の連続テレビ小説では照明を上部に設置するために天井を作らないことが多いという。『ばけばけ』はあえて天井を設置することで、明治時代に適した暗さを演出した。煌々とあかりがともる現代とは異なる暗がりには人智の及ばぬ空間が潜んでいると同時に、怖さではなく人の優しさや寛容が宿る場と捉えての演出なのだそうだ。暗がりの中での光源に使われたのは、玄関から入る光や、遠隔操作が可能なLED、実際のロウソクなどだ。さらにロウソクの明かりについては、芯の違いや長さで炎の揺らぎに差が出るため、かなりこだわったそうだ。
そして天井を設置したことでカメラをどこにでも向けられるようになったため、俳優陣は家屋の中で自由に動けるようになった。これもまた、登場人物たちの自由な雰囲気を醸し出しているのだろう。
作家・谷崎潤一郎は随想的評論集『陰翳礼讃』で、「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する」(※2)と、日本家屋の生み出す陰影の妙味について書いている。
続けて谷崎は、「そこにはこれと云う特別なしつらえがあるのではない。要するにただ清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。にも拘らず、われらは落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。(中略)われらといえども少年の頃は、日の目の届かぬ茶の間や書院の床の間の奥を視つめると、云い知れぬ怖れと寒けを覚えたものである。しかもその神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている蔭を追い除けてしまったら、忽焉としてその床の間はただの空白に帰するのである。われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである」と、陰影にまつわる怖さと美しさに言及した。
明治の近代化以降で失われた陰影を生かした芸術を褒め称えたこのエッセイを読むと、明治の初頭が舞台である『ばけばけ』において、いかに陰影の演出が重要であるかがよく理解できる。そして「思うに西洋人の云う『東洋の神秘』とは、かくの如き暗がりが持つ無気味な静かさを指すのであろう」という指摘のように、小泉八雲が日本文化に惹きつけられたのも、また陰影がゆえであったのかもしれない。
こうして日本式怪異の妙味や日本文化にある美しさをドラマに取り入れている『ばけばけ』であるが、“寛容”の象徴でもあった陰影は、時代の中で可視化されなかった暗さや、家族が内包する不幸せとして浮き彫りにされていく。第6話でトキの理想の結婚相手についての会話は、「叶うなら怪談のお好きな方がいい」「働き者の小豆洗いがいい」などととぼけたムードで実に明るい。4人の世界だけにフォーカスすれば、少々風変わりな娘トキをこのうえなく愛する家族である松野家は、貧しくても幸福な家庭だ。しかし別の視点に立てば、トキは子供のいないフミ(池脇千鶴)と司之介夫婦に対し、親戚の雨清水家からもらわれた子供だった。そこには子供をなすすべなく差し出した生みの母・タエ(北川景子)の、当時の女性としての悲しみがある。成長したトキを、実の親とは告白できないもどかしさも手伝いとびきりかわいがった雨清水家夫妻の影で、ほとんど目をかけてもらえなかった彼らの三男・三之丞(板垣李光人)の寂しさと僻みがある。幸福そうに見える松野家とその周辺には、表裏一体のように悲しみや寂しさが“陰”としてへばりついている。