実写版『秒速5センチメートル』における“再構築”を読む 新海誠の“詩学”を奥山由之が更新

 新海版が、声と風景の交錯によって「記憶の世界」を描いたとすれば、奥山版は身体と沈黙によって「いまこの瞬間の世界」を捉えている。抽象化ではなく具象化にならざるを得ない実写版において、そのアプローチは非常にクレバーといえるだろう。

 アニメ版ではあれほどまでに過剰だったモノローグが、実写版ではかなり抑制されている。言葉に頼らずとも、我々は松村北斗や高畑充希や森七菜の表情と身振りから、その内面を覗き込むことができるからだ。実写のアドバンテージを最大限に生かした戦略。原作がテキスト的で詩のような映画だったのに対し、実写はより物理的で、触れることのできる質感をもっている。

 もっとも大きな変化は、物語構成の再編にある。アニメ版では、小学生・中学生時代の「桜花抄」、高校生時代の「コスモナウト」、そして社会人時代の「秒速5センチメートル」という3部構成によって、遠野貴樹が少しずつ成長していく過程が段階的に描かれていた。一方で実写版は、社会人としての貴樹の現在を軸に据え、過去の出来事を断片的に挿入する形式をとる。

 この変化は、物語そのものの大きな変化でもある。なぜなら新海誠の世界では、成長とは喜びではなく、大切なものを失うことと同義語だからだ。『ほしのこえ』では宇宙の距離が恋の断絶を象徴し、『秒速5センチメートル』では時間の経過そのものが記憶を侵食していく。登場人物たちは「大人になる」ことで世界と和解するのではなく、むしろ過去の自己と訣別する痛みを引き受ける。その痛みを抵抗として描くのが、新海誠の真骨頂なのだ。

 アニメーションは、静止した一枚の絵を積み重ねることで、時間を疑似的に作るメディア。新海誠は、時間の流れを作ることで、時間の残酷さを描く。この制作過程こそが、彼の作品に漂う時間への反抗=大人になることへの拒絶の美学だ。新海誠は、いやおうなく大人になっていく遠野の姿に、自らの歩みを重ねていたのだろう。高校時代に弓道部に所属し、20代で会社を辞めて創作の道に進んだ彼自身の人生と、成長の痛みを抱える主人公の姿は明確に重なっている。だからこそ、新海にとって3部構成は、成長の段階を描くための物語的必然だった。

 だが、実写版は違う。奥山由之が選んだのは、時間を積み重ねる語りではなく、時間を往還する編集。過去と現在を並置することで、いまという瞬間を密封する。その結果、「大人になることへの抵抗」という新海誠的テーマは後景に退き、物語は「成長した貴樹と明里は再び出会えるのか?」というすれ違いロマンスへと転化する。

 興味深いのは、この構成の違いが、制作時の両者の立ち位置の差異とも呼応している点だ。いずれも30代前半で本作に臨んでいるが、新海誠がまだインディペンデントなアニメーション作家として成長真っ只中だったのに対し、奥山由之はすでに写真家・映像作家として成熟したキャリアを築いている。新海が「大人になる痛み」を描き、奥山は「大人としてのまなざし」からその痛みを見つめ直しているのは、その位相の違いによるものに思えてならない。

 もはや、どちらが優れている、優れていないの話ではない。アニメ版も実写版も時間を相手にした営みであり、その方法が異なるだけ。新海誠が描いたのは、もう戻れない時間への祈り。奥山由之が見つめるのは、いま確かにここにある呼吸と体温。過去と現在、記憶と実在……『秒速5センチメートル』というタイトルは、速度の違いを測るものではなく、時間と向き合う二人の作家の姿勢そのものを示している。この2つの映画は、同じ空を見上げながら、まったく異なる光を映しているのだ。

■公開情報
『秒速5センチメートル』
全国公開中
出演:松村北斗、高畑充希、森七菜、青木柚、木竜麻生、上田悠斗、白山乃愛、岡部たかし、中田青渚、田村健太郎、戸塚純貴、蓮見翔、又吉直樹、堀内敬子、佐藤緋美、白本彩奈、宮﨑あおい、吉岡秀隆
監督:奥山由之
原作:新海誠劇場アニメーション『秒速5センチメートル』
脚本:鈴木史子
音楽:江﨑文武 
主題歌:米津玄師「1991」
劇中歌:山崎まさよし「One more time, One more chance 〜劇場用実写映画『秒速5センチメートル』Remaster〜」
制作プロダクション:Spoon.
配給:東宝
©2025「秒速5センチメートル」製作委員会
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