『あんぱん』“メイコ”原菜乃華が夢見た歌手の道 史実における『のど自慢』の歴史を辿る

『あんぱん』にも登場、『のど自慢』の歴史

 NHK連続テレビ小説『あんぱん』の中で、原菜乃華演じるメイコが幾度となく想いを寄せたのが『NHKのど自慢』である。日曜の昼、鐘の音が響くあの場所は、戦後の日本において、ただの歌番組ではなかった。そこには、歌うことさえ自由ではなかった時代を越え、ようやく自分の声で想いを伝えられるようになった人々の希望の物語があった。

 『NHKのど自慢』が誕生したのは、戦後わずか5カ月後の1946年1月19日。物資も放送機材も限られる中で、ラジオ番組『のど自慢素人音楽会』としてスタートを切った。企画を立てたのは、後に『紅白歌合戦』も手がけることになるNHK音楽部のプロデューサーの三枝健剛(※1)。彼が軍隊時代に目にしたお国自慢の余興を番組に昇華しようと提案したところ、「素人がマイクを使うなどありえない」とNHK内では反発も強かったというが、当時の放送改革を推し進めていたGHQが、その流れを大きく変えた。

 公共のマイクが一般の人々に開放されるという出来事は、日本の放送史における一大転機だった。初回には900名を超える応募が殺到。音楽を制限されていた戦時下から一転、誰もが「自分の声で歌いたい」と願ったことが、ありのまま数字に表れていた。従来のような技術至上主義から外れ、調子のずれた歌やまごつく声さえも電波に乗せて流すというそのスタイルは、雑音ではなくまさに「自由」の象徴として、多くの人々の心に新しい音を刻んだ。

 番組に参加した人々にとって、マイクを通じて自分の歌声が流れるという経験は、人生大きく動かすきっかけとなった。戦後の不安定な暮らしの中でも、『のど自慢』に出場できれば、誰かに認めてもらえる、自分の生き方を肯定できる、そんな実感があった。なかには、初回放送で鐘を鳴らし、全国的な人気を博した床屋の下門英二のように、その後NHKの地方局開設イベントなどで引っ張りだこになるような人物も現れた。

 やがて『のど自慢』は、夢の入り口として機能していくことになる。番組での優勝や合格が必ずしもプロデビューに直結するわけではなかったが、北島三郎、倍賞千恵子、坂上二郎など、後に国民的な存在となった面々の中には、『のど自慢』出場経験者も多い。夢を叶えるための最初の一歩を、多くの若者があの舞台に見ていた。

 『あんぱん』のメイコも、まさにその1人だ。現実の社会情勢として生きることそのものに追われるなかで、歌手を志すという夢はどこか非現実的にも見える。だが、テレビから流れる『のど自慢』の舞台は、そうした若者の野心を肯定してくれる場所だった。歌を通して誰かに届く喜び、自分の声が評価されるという小さな誇り。全国放送でその実感を得たことが、メイコのような少女にとってどれほど大きな励ましとなったかは想像に難くない。

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