悲鳴嶼行冥の“墓参りオマージュ”の妙 『鬼滅の刃 無限城編』アニオリ描写を一挙解説

公開初日から、“無双状態”とも言える盛り上がりを見せている『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』(以下、『無限城編 第一章』)。日本映画史上最速で興行収入100億円を突破し、その勢いは社会現象とも言えるほどだ。
※本稿は『鬼滅の刃』無限城編のネタバレを含みます。
炭治郎&義勇VS猗窩座、しのぶVS童磨、善逸VS獪岳という3つの死闘が主軸として描かれているが、見どころはそれだけにとどまらない。本作ではスポットライトが当たらないキャラクターたちや、バトル以外の描写にも丁寧に光が当てられており、彼らの内面や関係性を感じさせる演出が随所に散りばめられているからだ。
岩柱・悲鳴嶼行冥の墓参り

そのひとつが、物語冒頭でアニメオリジナルとして描かれた岩柱・悲鳴嶼行冥の墓参りの場面。整然と並ぶ墓石の間をゆっくりと歩きながら、悲鳴嶼は、かつて鬼との戦いで命を落とした隊士たちをひとりひとり弔っていく。静かに佇むその大きな背中からは、“鬼殺隊最強”と謳われる男が背負ってきたものの重さが、言葉に頼らずとも伝わってくる。
この場面は、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(以下、『無限列車編』)に登場した産屋敷耀哉と妻・あまねの墓参シーンへのオマージュだ。同じ墓地、同じ構図で幕を開ける演出によって、“想いを受け継ぐ”というテーマが自然と浮かび上がってくる。『無限列車編』では、耀哉が「鬼がどれだけ命を奪おうと、人の想いだけは誰にも断ち切ることはできない」と語っていたが、その言葉は本作における、鬼を倒すという使命を引き継いだ者たちの戦いに重なる。冒頭にこの場面を据えたこと自体が、鬼殺隊の行く末を静かに指し示しているといえるだろう。
過去にもTVアニメ『柱稽古編』のオープニングには、鬼殺隊の隊士たちが一堂に会する印象的なカットがあり、その背景には藤の花が咲き誇っている。藤の花の花言葉のひとつ「決して離れない」は、命が尽きても想いや絆は断たれることなく受け継がれていくという、作品全体に通底する想いを象徴しているのだ。
花を通じた象徴的な演出

こうした花を通じた象徴的な演出は、今回の『無限城編』でも健在だ。たとえば、獪岳の回想シーンで印象的に描かれる鬼灯(ほおずき)の花には、「偽り」「ごまかし」「私を誘って」といった花言葉がある。そもそも“鬼”という字が含まれていることも象徴的で、彼の生き方や人間関係、その根底にある葛藤を暗示しているかのようだ。
また、童磨の居城に咲く蓮の花には「救ってください」「雄弁」といった意味が込められており、信仰を説く彼の“仮面”と、その裏にある欺瞞や虚無を浮き彫りにする。美しく神聖に見える蓮が、むしろ恐ろしさを伴って映る演出は、まさに『鬼滅の刃』ならではの逆説的な美の使い方だろう。
さらに、善逸が師である桑島と再会する三途の川の場面では、赤い彼岸花が静かに咲いていた。「再会」「また会う日を楽しみに」といった花言葉が象徴するように、善逸の心に宿る切なる想いが、あの一瞬の映像に託されていた。



















