『スーパーマン』が問う“アメリカ的正義”のゆくえ 建国理念の再解釈か“隠蔽”か?
2020年のブラック・ライヴズ・マター運動以降、アメリカの歴史認識にも急速な見直しが迫られたことは周知の通り。そこには過酷な奴隷制があり黒人差別があった。その事実を見つめ直した上で、しかし建国の理念をもう一度語り直すことは可能なのか。本作のスーパーマンが問うのはこれだ。クリプトン人の両親が発した言葉の裏表を知りながら、それでもそこからポジティブな可能性としての正義を引き出すこと。彼がためらい、地球での言わば育ての親とともに悩み決断するのはこの幾重にも屈折した「正義」だと言えるのではないだろうか。この「正義」を武器に彼は再びニコラス・ホルト演じる宿敵レックスと戦う。
ニコラス・ホルト演じる社会の不正といかに向き合うか。この主題はクリント・イーストウッドの最新作『陪審員2番』(2024年)にも相通じるものだろう。イーストウッドもまた正義への懐疑から出発した作家だったことを思い出したい。人を誤って裁いてしまう現実への確かな諦念を持ち、人に人を裁くことはできるのかと懊悩しながらそれでも司法は己のいる場所で自らのできることを最大限為せと諭す。このささやかな、しかし全力の正義への力強い肯定。その一点において『スーパーマン』と『陪審員2番』には意外な結びつきを見出せるはずだ。ニコラス・ホルトの前者における憎たらしいまでに傲慢で勝ち誇ったいやらしい表情と後者の死んだように虚ろなまなざしの好対照も印象深い。
こうして理念の再解釈の物語として『スーパーマン』を観るとき、ラストにだけやや違和感が残ったことを最後に付記しておこう。すべての事件が解決し、雪原のなかの「孤独の要塞」に帰還したとき、彼は地球に暮らす育ての親の音声をクリプトン人の父母の声の代わりに聞く。まるで侵略を唆す邪悪な父母など最初からいなかったかのように。起源の再解釈がその矩を超え出て起源の隠蔽という陥弊に嵌ってしまったのではないかという一抹の疑問は拭いがたい。
■公開情報
『スーパーマン』
全国公開中
出演:デヴィッド・コレンスウェット、レイチェル・ブロズナハン、ニコラス・ホルト、エディ・ガテギ、ネイサン・フィリオン、イザベラ・メルセド、スカイラー・ギソンド、ウェンデル・ピアース、ベック・ベネット
監督:ジェームズ・ガン
配給:ワーナー・ブラザース映画
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公式サイト:superman-movie.jp