河合優実は“語らない”ことで感情を表現する 『あんぱん』蘭子と豪のあまりに尊い時間

「勝とうが負けようが、兵隊は虫けらみたいに死ぬんだよ」

 酒の席での不用意な一言にも聞こえるが、それはむしろ、誰もが心の奥で感じながらも口に出せなかった真実だった。出征を祝うという建前の裏で揺れる本音を、屋村は一言で炙り出したのだ。朝ドラにおいて戦争は、単なる時代背景ではなく、登場人物たちの日常を静かに、確実に侵食していく存在として描かれる。恋愛、仕事、家族との関係といった穏やかな暮らしが、戦争という巨大な現実に晒され、徐々にひずんでいく。そのなかで屋村のセリフは、戦争が個人に何をもたらすのか――それを物語の中心に据えるような重みを持って響いた。

 のぶたち三姉妹がよさこい節を朗らかに歌い上げ、壮行会は最高潮の盛り上がりを見せていた。手拍子と笑い声が響くなかで、豪はひとり、静かに席を立った。その背を見つけた蘭子は、迷わず後を追い、ようやく心にしまい込んでいた思いを打ち明ける。「きっともんてきてよ。きっとやなくて、絶対や」と目に涙を浮かべながらそう告げた言葉は、蘭子にとって告白のようなものだった。これまで何度も飲み込んできた思いを、ようやく言葉にできた一瞬だ。豪もまた、その想いに真正面から応える。

「嫁になってください」

 不意に差し出されたその言葉に、蘭子は驚いたように一歩だけ後ずさる。けれど、その瞳にはもう迷いはなかった。

「豪ちゃんのお嫁さんになるがやき」

 お互いを想いながらも、時代と家柄に翻弄されてきたふたりの気持ちが、ようやく交差した瞬間だった。いち視聴者としてもどかしい気持ちで観ていただけに、このシーンだけは笑顔がこぼれた。日常のひとこまに宿る、愛おしくて、尊い時間。その一瞬が、戦火に染まろうとする世界の中でどれほどかけがえのないものかを、『あんぱん』は丁寧に描き続けている。

 戦争が影を落としはじめた『あんぱん』第29話。すれ違い続けてきた蘭子と豪が、束の間でも心を通わせたことに救われた視聴者も多かったのではないだろうか。愛を語ることすら難しい時代のなかで、それでも言葉にしようとする姿が、静かに胸を揺さぶった。

■放送情報
2025年度前期 NHK連続テレビ小説『あんぱん』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:今田美桜、北村匠海、加瀬亮、江口のりこ、河合優実、原菜乃華、細田佳央太、高橋文哉、中沢元紀、大森元貴、二宮和也、戸田菜穂、浅田美代子、吉田鋼太郎、竹野内豊、妻夫木聡、阿部サダヲ、松嶋菜々子
音楽:井筒昭雄
主題歌:RADWIMPS「賜物」
語り:林田理沙アナウンサー
制作統括:倉崎憲
プロデューサー:中村周祐、舩田遼介、川口俊介
演出:柳川強、橋爪紳一朗、野口雄大、佐原裕貴、尾崎達哉
写真提供=NHK

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