『シンシン/SING SING』が“描いたこと”と“描かなかったこと” 注目すべき芸術表現の特異性

 とはいえ、本作には構造的な問題もある。本作はRTAプログラムの全面的な協力を得るため、その理念や立場を最大限に尊重したかたちで製作しなければならなかったことが推察されるのだ。というのは、アメリカの厳重警備の刑務所でしばしば問題になる、看守の暴力や受刑者同士の暴力などの要素が、ほぼ排除されているのである。外部のギャングの力関係が所内に反映していたり、受刑者のヒエラルキーが存在するなど、プログラムをアピールする上で、触れられると都合の悪い部分は、最初から扱おうとしていないのだ。この部分は、観客自身が調べるなり、本記事のような解説を読むなどして補完しなければならない点だろう。

 また本作が、あくまでRTAを通した更生にスポットライトを当てる作品であり、犯罪者として見るのは色眼鏡をかけるようなものだということを前提にしていたとしても、彼らのなかには強盗や殺人などの重罪を犯している者がいることは、紛れもない事実だ。そこに被害者が存在していることを考えると、その人々の立場を抜きにして“感動の物語”が描かれることには、率直に疑問を感じる部分もある。受刑者が人間であることは確かだし、更生することも素晴らしいことではあるが、犯罪に巻き込まれた被害者の心情を考えると、この物語に涙を流すことに躊躇をおぼえる人がいるというのは当然のことである。

 ディヴァインGの問題についても言及しなければならない。「RTA」の公式ウェブページにおいて、出所後のディヴァインGの現在を、「無罪放免を得るため積極的に活動をしている」と書いていることから、彼の無罪はまだ法的に証明されていない状態だと考えられる。その上で、無実であることを前提とした演出が本作でなされていることは、倫理的にグレーゾーンにあるのではないか。感動の結末に涙を流すというのは、すなわち彼が無実であったと信じなければならないはずなのである。(※2)

 感動のストーリー、演出に水を差すのは気が引けるが、本作が描かなかった部分にもストーリーがあり、さまざまな立場があるということを意識することで、より立体的に本作の立ち位置や、実際の社会のなかでのシンシン刑務所、RTAの在り方というものが見えてくるはずである。

 むしろ、筆者が注目したいのは、本作やRTAの正しさよりも、受刑者のなかで生まれる芸術表現の特異性についてだ。受刑者たちが過去を回想することが求められるなど、劇中の描写を見れば分かるように、RTAの演技指導は、演技そのもののクオリティよりも、自己の内面を掘り下げ、自尊心を回復させたり、協調性を生み出すことの方に重きが置かれている。

 通常、プロの俳優は、自分ではない存在になるために、自分を消すことが求められる場合がほとんどだ。しかしここでは、誰かを演じる上で、まず自分を見つめることが重要だと教えられるのだ。それはもちろん、RTAの存在意義があくまで更生にあり、それを理由に活動が許可されているからだろう。

 だが、そういった特異性があるからこそ、その演技のアプローチには、多くの洗練されたプロ俳優にはない点があるといえる。その代表といえるクラレンス・マクリンは、自分がディヴァイン・アイであった頃の感覚に戻り、リハーサルでの苦心惨憺の演技の様子を再現している。これには多くのテクニックを必要とするはずだが、“自分を見つめ直す”というアプローチによる演技法が、非常に高いリアリティを生んでいるところが興味深い。

 洗練されたプロ俳優といえば、本作ではコールマン・ドミンゴが、それにあたるだろう。もともと大学でジャーナリズムを勉強していたドミンゴもまた、俳優としてのスタートは遅かったが、経験不足を埋めるため、彼はバーテンダーとして長年働きながら、スタニスラフスキーやウタ・ハーゲンの演技理論書を独学で学び、舞台やドラマ、映画などで高い評価を確立し、数多くの賞を受賞することとなる。イェール大学演劇学校やジュリアード音楽院、南カリフォルニア大学演劇芸術学部で教鞭をとった知性派の俳優だといえる。(※3)

 そんな理論家のドミンゴと、対照的ともいえるのが、内なる自分との対話で演技を引き出すクラレンス・マクリンである。彼らが2人きりのシーンは、まさに理論を学びライセンスを獲得したプロのボクサーと、喧嘩で勝ち抜いたストリートファイターとの対戦のようでエキサイティングだ。しかし、RTAの演技法は、自分自身が役になりきるという意味で、ドミンゴが勉強してきた「メソッド演技」に繋がっている部分もある。その結節点や、化学変化確認するのが、本作の大きな醍醐味だといえよう。

 広い社会のなかで演技という道を選び取り、研鑽を重ねてきたコールマン・ドミンゴ。そして、隔離された空間のなかで、RTAというプログラムに出会い、演技という芸術を通して自分と対話を続けながら更生の道を辿っていったクラレンス・マクリン。全く異なる地点にいた彼らの人生が、本作『シンシン/SING SING』で、演技という共通言語のもとで交わったということには、一種の感慨深さがある。RTAがなければ、マクリンがどうなっていたのかは分からないのだ。

 そして、本作で映し出される実際の舞台映像には、演技すること自体の楽しさ、厳しいプロの世界を生き抜く俳優が忘れかけている、プリミティブな充実感に溢れている。表現への衝動が強く反映した彼らの舞台の場面を見ていると、塀の外の映画館で本作を観る、われわれ観客もまた、彼らのように、いろいろなことに挑戦したいという意欲が湧いてくるはずである。

参考
※1. https://www.timesunion.com/hudsonvalley/culture/article/sing-sing-movie-based-hudson-valley-prison-19753473.php
※2. https://rta-arts.org/blog/sing-sings-john-divine-g-whitfield-clarence-divine-eye-maclin-where-are-they-now/
※3. https://www.backstage.com/magazine/article/colman-domingo-rustin-interview-photos-76899/

■公開情報
『シンシン/SING SING』
TOHOシネマズ シャンテほかにて公開中
出演:コールマン・ドミンゴ、クラレンス・マクリン、ショーン・サン・ホセ、ポール・レイシー
監督:グレッグ・クウェダー
配給:ギャガ
2023年/アメリカ/カラー/ビスタ/5.1ch/107分/字幕翻訳:風間綾平/原題:Sing Sing/G
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公式サイト:https://gaga.ne.jp/singsing/
公式X(旧Twitter):@singsing_JP

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