映画史における『メイ・ディセンバー』の意義深さ 実話ベースの作品に対する“問いかけ”に

『メイ・ディセンバー』の“問いかけ”とは

 トッド・ヘインズが監督を務め、ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーア共演で火花を散らす役柄を演じる、『メイ・ディセンバー ゆれる真実』。その内容は、実話を基にした映画の常識を揺るがせる、異様かつ挑戦的なものだった。

 モデルとなっているのは、アメリカで1990年代に実際に起き、大きなスキャンダルとなった、通称「メイ・ディセンバー事件」。その事件とは、教職にあった既婚の30代女性が、当時12歳だった少年と不倫関係になったというもの。逮捕された女性は服役中に出産し、出所後に二人は結婚した。その後、2018年に二人の離婚が成立し、女性は末期がんによりこの世を去っている。

 ちなみに「メイ・ディセンバー(5月、12月)」とは、暦の上において1年のなかで離れた月同士であることから、転じて年齢が離れた「年の差カップル」を表す言葉であるという。

 本作『メイ・ディセンバー ゆれる真実』は、基になった事件とは微妙に設定が変更され、事件当時の少年の年齢が13歳になっていたり当事者の名前が置き換わったりしているものの、当時の報道を知っている人々にとっては、すぐにピンとくる内容であり、監督自身も同事件がモデルであると認めている。

 だが、描かれるのは事件そのものではなく、スキャンダルから20年経った、元服役囚のグレイシー(ジュリアン・ムーア)と元少年ジョー(チャールズ・メルトン)との結婚生活だ。そこに、事件を映画化するという企画が持ち上がり、グレイシーの役を演じるという俳優エリザベス(ナタリー・ポートマン)が役柄のリサーチのため密着取材にやって来るところから、物語が動き出していく。

 エリザベスは、グレイシーの人物像や事件の核心をつかむため、グレイシー本人や夫のジョー、子どもたち、さらには事件の関係者らと対話を重ね、知られざる真実へと近づいていく。しかし、その試みは意外な方向へと転がっていき、つながったはずの論理はほころびを見せるのだった……。

 メタフィクション風の趣向も興味深いが、焦点となるのは、やはりグレイシーとジョーの人間性から浮かび上がる、二人の関係がどのようなものだったのかという部分だ。本作では、グレイシーがジョーの精神を少年時代から結婚後もコントロールしていたという疑惑が描かれる。

 ジョーはグレイシーを擁護し、自分と彼女はそのように操り操られる関係ではないと主張しているが、同時に、やはり自分はコントロールされているのではないかという不安をどこかに抱えている。ジョーがその疑問をグレイシーにぶつけると、彼女は「あなたが自分の意志で私を誘惑した」と納得させようとする。

 しかし事件を客観的に見て、30代女性と13歳の少年という、大人と子どもの関係において、そのような展開に自然になるのかという点については、疑わしいものがある。少年が無理に暴行に及んだなら話が変わってくるが、基本的に女性の側が毅然とした態度をとれば、そのような関係にはなりようがないはずだからである。

 大人が子どもを手なずけて性的な関係へと誘導するような手法を、「チャイルド・グルーミング」と呼ぶ。孤立している傾向にある子どもを選び、優しくすることで特別な信頼関係を結び、行動をコントロールしていくのが、その常套手段である。劇中で描かれるグレイシーとジョーの関係が完全にそうだとは断言できないが、少なくとも「チャイルド・グルーミング」の要件に、多くの部分で重なっているのは確かだ。

 劇中では、ジョーが飼っている蝶の幼虫が、さなぎから羽化する様子が映し出される。このシーンが象徴しているのは、30代となったジョーが自分の思考に疑問を感じたことで、ついに精神的な自立を果たそうとするという構図である。つまり、ジョーはいままでグレイシーの願望に従うように誘導され、それを自分の自由意志であると、意図的に誤認させられていたということだ。

 そのせいで彼は、本当の意味で“自分で考え自分で決める”経験をすることができず、子どもから大人に精神的な成長を遂げる機会も奪われていたということになる。この悲劇的な役柄を、チャールズ・メルトンは見事に繊細に演じている。

 この、大人による子どもの支配というのは、本作にとって非常に重要なテーマである。もともと本作の企画は、本作の出演者であるナタリー・ポートマンが脚本を読み、ヘインズ監督に打診することで成立していったという経緯がある。

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