『キングダム』1作目で信を“クソザコ”に描いた英断 山﨑賢人の美しい飛び姿に刮目せよ

『キングダム』山﨑賢人の美しい飛び姿

 7月12日の『キングダム 大将軍の帰還』公開に合わせて、記念すべきシリーズ1作目無印『キングダム』が、6月28日の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)において放送される。ありがたいことである。この物語の“始まり”は、絶対に観ておかなければならない。

 物語の舞台は、紀元前245年、春秋戦国時代の中国だ。戦災孤児で奴隷の信は、いつか「天下の大将軍」になるべく、親友の漂(吉沢亮)とともに日々剣の修行に明け暮れている。この主人公・信を演じているのが、“漫画実写化職人”山﨑賢人である。炎上するかもしれないが、大事なことなのであえて言う。山﨑賢人の“クソザコぶり”が素晴らしい。

 山﨑賢人演じる信のモデルは、実在の始皇帝配下の将軍・李信である。つまり、史実にのっとればいずれは将軍になるはずだ。とは言え、物語開始時点ではまだ何者でもないザコであり、身分も最下層だ。この段階で“大物感”があってはいけない。ギャアギャアうるさいだけの、身のほど知らずのガキでなければならない。

 信のザコぶりに比べ、彼の周囲には大物感漂うキャラが多い。まずは、別格とも言える王騎将軍だ。演じる大沢たかおの徹底的な肉体改造の末に生まれたこの人物は、登場するだけで場の空気をすべて持っていくカリスマ性を持つ。物語冒頭でまさにドナドナ的に荷馬車で売られていく少年時代の信が、王騎将軍の雄姿を見て憧れを抱く。自分もあのようになりたいと願う。本来、自らの運命に悲観していてもおかしくない場面だ。そのような場面で、実現確率0.001%もない夢を抱く信の身のほど知らずなポジティブさを、笑うことはたやすい。だが、ここでただ悲嘆して自分の運命を呪って終わるか、あるいは、半分狂ったような夢を抱くことが出来るか。そこが、主人公とモブの分かれ目なのだろう。

 カリスマ性なら、後に始皇帝となる嬴政(吉沢亮)も負けてはいない。今作の段階でまだ14歳の少年でありながら、すでに王としての貫録と風格を持ち、戦闘力も極めて高い。吉沢亮(漂と2役)が演じると、“後に王者となる若者”に俄然説得力が生まれる。『東京リベンジャーズ』シリーズのマイキーや、NHK大河ドラマ『青天を衝け』の渋沢栄一もそうだ。彼にはおそらく、生まれ持った“王者のオーラ”がある。

 この第1作段階での、信と嬴政の違いを示すシーンがある。トドメを刺す際に「子供がいる」との理由で命乞いをする相手に、信がためらう。そんな信を尻目に、嬴政は「お前の罪とお前の子は関係ない」と言い捨て、冷たくトドメを刺す。まだまだ甘ちゃんの信に対し、武人として、あるいは為政者としての非情さをすでに備えている嬴政との、格の違いがよくわかる。

 彼らと比べれば比べるほど、信のザコ感が際立つ。だが、それでいい。今シリーズは、最底辺の奴隷が「天下の大将軍」に成り上がるまでを描く、壮大なサクセス・ストーリーだ。出発点がザコであればあるほど、功成り名遂げた際の感動も大きくなる。これは、信、並びに山﨑賢人の成長を見守る物語だ。

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