『ブギウギ』に登場する名曲「別れのブルース」とは? 菊地凛子の声に滲むリスペクト

 NHK連続テレビ小説『ブギウギ』第15週では、戦後の混乱の中で、スズ子(趣里)が愛助(水上恒司)と愛を育みながら、歌手として新たな一歩を踏み出し始める。そして、それは茨田りつ子(菊地凛子)も同じだった。

 若い特攻隊員への慰問で鹿児島を訪れ、彼らのリクエストで「別れのブルース」を歌ったりつ子だったが、特攻隊員たちに「いい死に土産になります」と感謝され、泣き崩れてしまった。この出来事は、りつ子の大きな心の傷となった。りつ子のモデルは“ブルースの女王”と呼ばれた名歌手・淡谷のり子だが、淡谷が一度だけ観客の前で号泣して歌えなくなったことがあった。それは特攻隊の少年兵たちの前で歌った時で、『ブギウギ』で描かれたこのシーンは、実話を基にしている。

 特攻隊員たちがりつ子に歌ってほしいと希望した「別れのブルース」は、1937年に発表され、大流行した。作曲は草彅剛演じる羽鳥善一のモデル・服部良一、作詞は藤浦洸だ。

 ブルースを深く研究していた服部は、新たなブルース曲の着想を得るために、横浜の山下公園や本牧を巡った。その後、立ち寄ったバーで淡谷の歌う「暗い日曜日」を耳にし、彼女に本牧を舞台にしたブルースを歌わせようと思いついたのだという。

 服部と藤浦は曲を完成させたが、ソプラノ歌手として高い評判を得ていた淡谷が、低音のこの曲を歌うのは非常に難しいことが判明。だが、服部は諦めず、無理にでも譜面通りの音階で歌ってほしいと淡谷を説得した。淡谷は低音を出すために、それまで吸ったことがなかったタバコを声が枯れるまで一晩中吸い続け、一睡もせずにレコーディングに臨んだという。

 完成した楽曲のタイトルは「本牧ブルース」だったが、本牧の知名度は全国的に高くなかったため、「別れのブルース」へと変更された。発表された当初、売れ行きは今ひとつだったが、外地・満州で火が付き、やがて日本国内でも長崎・神戸・大阪・横浜と港町で売れていき、ついに東京でも大ヒット曲へと上り詰めた。

 淡谷は、「別れのブルース」の後に発表した「雨のブルース」などの連続ヒットで、“ブルースの女王”と呼ばれるようになった。筆者は、子どもの頃にテレビで淡谷が歌う「別れのブルース」を聞いたことがある。『ブギウギ』で菊地がこの曲を歌うのを聞いた時、淡谷の歌唱を彷彿させるとともに、菊地自身の声の良さも響かせていると感じた。特攻隊員への慰問のシーンでは、ドラマの内容も相まって、聞けば聞くほど涙が溢れた。

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