オダギリジョー、消極的なテレビドラマに企画段階から参加した理由 冨永昌敬と語り合う

 FOD、Prime Videoにて配信されているオダギリジョーが主演を務めるドラマ『僕の手を売ります』。本作は、オダギリ演じる主人公・大桑北郎(オークワ)が、多額の借金を返済するため、全国各地でアルバイトをして回り、そのゆく先々で起こる様々なトラブルに巻き込まれながらも、家族と向き合っていく物語だ。監督を務めるのは冨永昌敬。オダギリと冨永監督がタッグを組むのは3度目となる。オダギリは今作で企画段階から参加し、構想したオリジナル脚本を、オダギリは演技で、冨永は映像で具現化した。 そんな2人に今作の企画の立ち上げから裏側まで話を聞いた。

同世代だからこそ、分かり合えるところがある

『僕の手を売ります』©フジテレビ

――本作『僕の手を売ります』には、企画の立ち上げからオダギリさんが関わっているんですよね?

オダギリジョー(以下、オダギリ):そうなんですよね。それだけに一段と思い入れの強い作品になっています。そもそもの発端から話すと、今だからこそテレビシリーズで挑戦したい企画があって、冨永監督にも協力してもらいたかったんです。とは言え、その企画は色々あって実現できず、でもせっかくの機会だからチームはそのままで新しい企画を進めようということになったんです。なので、僕は企画の環境を整え、冨永さんが物語を作ってくれた、というのがこの企画の成り立ちですね。

――そうなんですね。冨永さんは、この物語のどのあたりから着想していったのでしょう?

冨永昌敬(以下、冨永):そもそもの話で言うと、ある男が車で日本全国、いろんなところを回るという話をやってみたかったんですよね。何でそうなるのかと言ったら、人を探しているからであって、なぜ人を探さなきゃいけないかと言うと、その根本的な理由は、自分の借金にあるという。そういうところから話を広げていって、彼は自分の借金を返すために全国各地を回りながら、いろんなアルバイトをしているんだけれど、人からものを頼まれると断れない性格だったりするので、だんだん何のためにやっているのかわからなくなるというか、どこに行っても「何で自分はいつも、こうなってしまうんだ!」と嘆く羽目になってしまうという……。

オダギリジョー

――(笑)。2019年のドラマ『ひとりキャンプで食って寝る』(テレビ東京)の偶数回(主演:夏帆)がありましたけど、冨永監督と言うと最新作『白鍵と黒鍵の間に』(2023年)をはじめ、長編映画の監督というイメージが強く、あまり連続ドラマのイメージがなかったのですが……。

冨永:確かに『ひとりキャンプ~』はありましたけど、あれはそこまで連続ものという感じでもなかったから、実はほとんど今回が初めてなんですよね。こういう形で、オリジナル連続ドラマを自分で脚本を書きつつ、全話監督するというのは。しかも今回のドラマは、最初からオダギリさんにこの主人公をやってもらうことを前提に書いていったというか、オダギリさんをイメージしながら、このオークワという人物を作っていったところがあって……。

『僕の手を売ります』©フジテレビ

――そうだったんですね。いわゆる「当て書き」というか。

冨永:そう。ただ、このオークワという人物は、あくまでも「普通の人」というか、誰が見てもそんなに特別な役割を持った人間ではないというのが、自分の中ではひとつポイントになっていて。そういう人が、どうすれば主人公になれるのかということを考えながら、このオークワという人物を作りました。そもそも、連続ドラマというのは、たとえば10話なら10話、ずっとその人物を見続けるわけじゃないですか。そこは映画とは全然違うというか、映画を作るときとは、人間の見つめ方みたいなものが変わってくるような感じがありました。

オダギリ:そうなんですよね。一本の映画でまとめるのとは違う、主人公のいろんな面を深掘りすることができますからね。10話重ねることによって、このオークワという人物が、より魅力的に、より親しみを感じてもらえたらいいなという思いがあります。それがテレビシリーズでやることの強みだと思いますし、そういう意味で、これまでの冨永さんの作品とは少し違うテイストが表れた作品になったのではないかなと思います。

冨永:ただ、さっき言ったように、オダギリさんが演じる「普通の人」というところから始めていったんですけど、そこから何で彼がこうなったのかということは、いろいろ考えていたところがあります。それは、オークワの衣装や持ち物を実際に確認しながら、僕自身、さらに考えていったところではあるし、オダギリさんも、きっとそうやって現場で衣装だったりを身に着けてオークワを演じながら、キャラクターを見つけていったところもあったんじゃないかなと思っています。

オダギリ:そうですね。それはあったと思います。

冨永:なので、本作の脚本自体は、僕が好きに書かせてもらいましたけど、そこから次の段階にいって、実際の撮影現場で、オダギリさんがあの車に乗って全国を旅して回って、そこで出会った人たちと接している様子を見て、そこから影響されて、またオークワという人物に対する理解が深まるということが今回はすごく多かったです。

冨永昌敬

――1976年生まれのオダギリさんと1975年生まれの冨永さんは同学年で、本作の主人公であるオークワも同じような年代に設定されています。そういう「同世代感」みたいなものが、このドラマには表れているように思いましたが、それについてはいかがですか?

冨永:ああ、それはあったと思います。

オダギリ:そうですね。それは出会った頃から感じている部分ではあります。分かりやすいところで言えば、このドラマのオープニングとかも、なかなかですよね。普通はしがらみや大きな力に巻かれて、J-POPをタイアップされるだけですからね。ああいう曲をオープニングに選ぶドラマって、日本ではあまり観ないですよね(笑)。

冨永:はははは。

オダギリ:そこがやっぱり、僕が好きな冨永さんのセンスみたいなものだと思うし、同世代だからこそ、分かり合えるところだったりするのかもしれないですよね。

冨永:あと、これは企画の段階で少し話したかもしれないですけど、「就職氷河期世代」ってあるじゃないですか。僕らの世代は、その走りの世代だと思っていて……。

(左から)冨永昌敬、オダギリジョー

――いわゆる「ロストジェネレーション」の最年長あたりの世代ですよね。

冨永:そう。このオークワという人物は、そういう世代の括りの中に確かに入っているんですけど、彼はそういうものに少し鈍感なところがあるというか、自分のまわりのことしか見えないところがあって。それこそ、巨額の借金を抱えていて、それを返すために今日のバイトをちゃんと終わらせて、家に帰って明日の準備をするみたいな。そういう狭い世界で生きている人間というか、狭いところにしか光が当たらない懐中電灯を持って、暗闇の中を歩いているような人なんですよね。ただ、この人をずっと見ていけば、その「世代感」みたいなものは、きっと出てくるだろうなというのは思っていて。それは、彼の経歴や現在の状況、さらには彼のまわりにいる人だったり、彼があちこちで出会う人間が、そうだったりするからなんです。

『僕の手を売ります』©フジテレビ

――オークラワ自身はあまり意識していないですけど、このドラマの背景には、そういう「世代感」――もっと言うならば、今の「時代感」みたいなものが、すごくあるように思っていて。「家族」の在り方についてはもちろん、「働くこと」の意味を改めて考えさせるようなところがある。主人公がそのことを特に意識しているわけではないにもかかわらず、そういうものが浮かび上がってくる「作り」が、すごく面白いなと思いました。

冨永:ありがとうございます。これは世代感や時代感とは少し話が違うのかもしれないですけど、僕のまわりには、このドラマの参考になるような変わった人たちがいっぱいいるんです(笑)。その人たちのこういうところをオダギリさんがやったら面白いだろうなといろいろ思い出しながら、それをリスト化していったところがあって。たとえば、バッテリーがいっぱい出てくるシーンがあるんです、オークワが、あらゆる道具のバッテリーを、服やカバンから出して……。

オダギリ:自宅に戻ったら、まずそれを充電するんですよね(笑)。

冨永:そうそう(笑)。僕の知り合いに、家に帰ったらまずすべてのバッテリーを充電しないと気が済まない人がいて。これは絶対、オダギリさんにやらせたいなと思ったんですよね(笑)。

オダギリ:あ、そういう人が、実際にいたんですね(笑)。でも、確かにこのオークワというキャラクターは、何でもやらせられますよね。

冨永:そうなんですよ。あと、オークワには、実用的なものが好きという設定があって。そういう感覚って、男性の中には結構あったりするじゃないですか。

――ポケットのたくさんついたベストとか(笑)。

冨永:そうそう(笑)。彼の車の中にあるものとかもそうですよね。そういう実用的なものだけを身の回りに置いているオークワは、案外カッコいいんだぞ、というのは、このドラマの中で見せたかったところのひとつではあります(笑)。

オダギリ:(笑)。

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