『マスクガール』は“囚われ続ける”私たちの隣人だ ルッキズム風刺のみではない演出の妙

『マスクガール』ルッキズム風刺のみではない

 こうして始まった「マスクガール」の美への執着の物語は、予想外の結末へと転落していくのだが、本作の根底にある“囚われ続ける”ことへの描き方は非常に納得感があった。人は誰しもその人だけのストーリーを持っており、その中には傷ついた出来事やトラウマもあるはずだ。お金がなかった過去を持つ人がお金に執着したり、夢に敗れた人が一生その夢に心のどこかで囚われ続けるようなことは珍しくない。全7話の物語は、それぞれ視点を変えながら「何かに囚われた人々」を描き続ける。

 法律が裁きを下しても、並々ならぬ復讐心から「マスクガール」を追うキム・キョンジャ(ヨム・ヘラン)や家庭環境に永遠と囚われ続けるキム・ミモなど、そこにはルッキズムだけではない、さまざまな問題の当事者たちの声が重ねられていた。全7話とは思えない物語の厚みは、ここから生まれているのだろう。

 一方で、冒頭のルッキズムの問題を提示する作品としても、内容が薄いわけでは全くない。ありのままの自分を肯定する大きな流れは、すでに多くのエンタメ作品に表れている。しかし、多様な思想が尊重される社会においては、「ありのままの自分を受け入れることができない」という反応もまた、等しく認められるべきなのではないか。

マスクガール

 見た目を気にしたままでもいい。ありのままでなくてもいい。囚われているものは違えど、同じように今を苦しい時間として過ごしている誰かが必ずいる。例え、目に見える範囲にいなくても問題ない。私たちにはもう、「マスクガール」がいるのだから。

■配信情報
『マスクガール』
Netflixにて配信中
Jun Hea-sun/Netflix © 2023

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