孫悟空の活躍を描くアニメーション映画 『モンキー・キング』に漂う異様な雰囲気の正体

 映画やTVドラマ、漫画やゲーム、舞台などなど、中国のみならず日本でも数々の派生作品を生み出し続けている『西遊記』。子どもにも人気のある奇想天外な内容で、16世紀から世代を超えて愛され続けている物語だ。そのなかでも人気のあるキャラクターである“猿のヒーロー”孫悟空の活躍を中心とした長編アニメーション映画が、また一つ生み出された。

 このほど配信が開始された『モンキー・キング』はNetflixアニメーションと、ドリームワークスのアニメーション作品を共同で手がけてきた、上海のパールスタジオによる国際的な大作である。とにかく驚かされるのは、圧倒的なクオリティの高さだ。アジア圏の歴史的、文化に敬意を払いながら娯楽大作として見事な出来に仕上がっている。

 ここでは、そんな本作『モンキー・キング』に漂う異様ともいえる雰囲気の正体や、根幹にあるテーマは何なのかについて、できるだけ深く考察していきたい。

 本作で描かれるのは、『西遊記』全体からいうと前段にあたる部分。超常的な力を持った猿・孫悟空が石から誕生し、「斉天大聖」と名乗って天界で大暴れするエピソードを映像化している。

 特徴的なのは、孫悟空の「アシスタント」となる、とくに特別な能力を持っているわけではない、人間の少女が登場するところ。アメリカではプロスポーツ選手が、チームなどと代理で交渉をしたり、実務をおこなうスポーツエージェントと契約するケースが多いが、そのような現代的なイメージで悟空の活躍がマネージメントされるというのが、アメリカ的な趣向でありユーモアであるというところだろう。また、テーマソングを中国のアグレッシブなメタルバンド「ブードゥー・カンフー」が演奏し、それが流れる孫悟空のバトルシーンに、規格外といえるハードな印象を与えているのも面白い。

 このように、本作は観客を物語に引き込むためにさまざまな現代風の意匠を加えているが、それよりも驚かされるのは、むしろ中国の伝統的な表現を息づかせようとしている努力が随所に見られる点である。キャラクターデザインや世界観、作品にちりばめられた文化的な表現は、アジア的な感性や中国についての深い知識がなければ表現し得ないものだと感じるのだ。

 本作の監督には、『オープン・シーズン』(2006年)、『ボックストロール』(2014年)のアンソニー・スタッキ、美術監督に『ウィロビー家の子どもたち』(2020年) のカイル・マックィーンが配されている。そしてスタッフには、アニメ業界の一線で実績を築いてきた名前が並んでいるが、同時にそのなかでもアジアにルーツを持つ北米、中国のアーティストらも複数クレジットされていて、ボイスキャストもアジア系の俳優で占められているのである。つまり、中国と北米の才能、感性が合わさることで、本作のバランスが完成しているということになる。

 それだけではない。じつは『西遊記』といえば、中国のアニメーションの象徴として知られている題材なのだ。本作の表現の数々を観ていると、その歴史に敬意を払いながら、過去の中国作品を参考にしていることが理解できるのである。

 アジアで最初の長編アニメーション映画を作ったのが中国だということをご存知だろうか。そう、その題材こそ『西遊記』だったのだ。上海(シャンハイ)が日本に占領されていた時代、中国アニメーションの代表的な存在である双子の万(ウォン)兄弟を中心に完成させたのが『西遊記 鉄扇公主の巻(鐵扇公主)』(1941年)だった。日本初の長編アニメーションだとされているのは、戦時中に公開された戦意高揚映画『桃太郎 海の神兵』(1945年)だが、その製作はこの『西遊記 鉄扇公主の巻(鐵扇公主)』に触発されているといわれている。

 その後、上海のアニメーションは、同じく「東洋のディズニー」を目指した東映動画と、アジアで競い合うようにアニメーションを製作。「上海美術映画製作所」は、『牧笛』(1963年)のような芸術性の高い作品や、『ナーザの大暴れ』(1979年)などの娯楽性の高い名作を世に送り出した。

 そして、上海美術映画製作所のマスコットともなる代表的な題材が、『西遊記』であり孫悟空だった。『大暴れ孫悟空(大鬧天宮)』上巻(1961年)、下巻(1964年)の劇場作品は、技術、娯楽性、芸術性ともに高く、ディズニー作品と勝負できる内容を間違いなく持っていたのだ。その後、文化大革命によってアニメーション製作は困難な状況に追い込まれるが、『西遊記 孫悟空対白骨婦人(金猴降妖)』(1985年)など、1980年代からは復活を果たしている。

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