『らんまん』田邊彰久は朝ドラ史に残る人物に 要潤が演じきった“もうひとりの主人公”
本作『らんまん』の主人公・槙野万太郎は天才である。だが、天才でない私たちは万太郎を応援できても共感することは難しい。だから、天才ではなく出世欲も嫉妬心も持ち合わせた悲運の秀才・田邊に心を重ね、その野心やさまざまな矛盾をも受け容れながら彼の人生の行方を見守るのである。どうかもう1度立ち上がってくれ、と。
少し話は逸れるが、『らんまん』万太郎と田邊の関係性を見つめる中で、私はずっとある漫画作品を思い出していた。その作品とは演劇漫画の金字塔『ガラスの仮面』。演劇が好きで好きでたまらない演技の天才少女・北島マヤと、映画監督の父と有名俳優の母を持つ姫川亜弓のどちらが演劇界伝説の舞台『紅天女』の主役を得るかというストーリーだが、この漫画もある時期から天才であるマヤより努力の人・亜弓に読者の共感が集まる現象が起きた。劇団「てがみ座」の主宰として数多くの舞台作品を手掛けてきた長田育恵氏がマヤと亜弓の関係性を万太郎と田邊に重ね物語を紡いだと思うのは間違いだろうか(もちろん、実在のモデルがいることは承知の上で)。
話を戻そう。天才でなく、あくまで秀才である田邊がそれまで背負っていた地位への執着を手放し、好奇心に満ちた眼差しで新しい花と対峙したことで、天才・万太郎より先にその植物が新種であることを突き止めたのは私たちにとっても希望である。そして、長らく庇護する存在、導く相手としか見ていなかった妻・聡子の芯の強さや本当の聡明さに田邊がやっと気づいたことも。
新種・キレンゲショウマの発表後、田邊は大学内の争いに敗れ帝国大学教授を非職となる。だが、学内の廊下でかつての部下・徳永(田中哲司)と再会した際も、自室で荷物を整理する時も彼の目には憎しみや絶望が宿っていなかった。これからは本当に純粋な気持ちで学問ではなく植物と、己の人生や家族と向き合えるとその胸中は凪いでいたのかもしれない。
田邊彰久のモデルとされる矢田部良吉氏は40代の半ばで海難事故に遭いこの世を去った。『らんまん』田邊教授にはどんな幕引きが待っているのだろう。それがどんな形にせよ私は忘れないでいようと思う。
「始祖にして永遠」なシダであり、希望となる花をも咲かせてくれた田邊教授。あなたは確かに『らんまん』におけるもうひとりの主人公でした。
■放送情報
NHK連続テレビ小説『らんまん』【全130回(全26週)】
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15
出演:神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣ほか
作:長田育恵
語り:宮﨑あおい
音楽:阿部海太郎
主題歌:あいみょん
制作統括:松川博敬
プロデューサー:板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久
演出:渡邊良雄、津田温子、深川貴志ほか
写真提供=NHK