『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』が「面白かった!」からこそ気になったこと

 面白かった!……本当はそんなシンプルな感想だけ述べたいところだが、口を衝いて出るのは細かい文句と後出しの注文ばかり。それは人気シリーズの続編が背負う宿命かもしれないし、まして全世界で愛される『インディ・ジョーンズ』の最新作となれば、避けられない運命であろう。

 映画として「面白かった」という印象も決して嘘ではない。ハリウッド謹製の冒険活劇として十分に楽しませてもらったし、大がかりで工夫を凝らした見せ場にも、芸達者揃いのキャスト陣のアンサンブルにも満足させてもらった。それでも「その演出で合ってたの?」とか「もっと別の作り方もあったんじゃないの?」とか、つい中年の繰り言めいたダメ出しを羅列してしまう。それは少なくとも自分の場合は、シリーズに過剰な思い入れを持った世代(1980年生まれ)ゆえの病気みたいなものだ。もっと細かく言えば2作目の『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984年/以下、『魔宮の伝説』)こそが最高傑作だと思っているので、3作目の『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年/以下、『最後の聖戦』)の時点で「また敵役がナチス?」と食傷気味に感じたものだし、今回の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(以下、『運命のダイヤル』)でも「別にそこはお約束にしなくても……」と思わざるを得ない。もちろん1作目の『レイダース/失われた聖櫃《アーク》』(1981年/以下、『レイダース』)至上主義のファンにとっては、また受け取り方が異なってくるだろう。

 シリーズ4作目の『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年/以下、『クリスタル・スカルの王国』)は、お好きな方にはたいへん申し訳ないが、正直言って「やらなくていい続編」の典型だった。それゆえ今回の『運命のダイヤル』は、ある程度はプレッシャーが軽減されていたはずである。よほどの脱線さえしなければ「まあ、前作よりはマシか」と優しく受け入れてもらえる……そんな目算もあったのではないか(重ねて言うが『クリスタル・スカルの王国』ファンには非常に申し訳ない)。

 一方で、前作に対する不評は、『運命のダイヤル』制作陣に余計な「守り」の姿勢も与えてしまったのではないか。はたして、ここまでシリーズ初期3部作の徹底的な踏襲が必要だったのか? 監督がジェームズ・マンゴールドに交代したのなら、彼なりの別の作り方もできたのではないかと考えてしまう。『コップランド』(1997年)や『LOGAN/ローガン』(2017年)を撮ったマンゴールドなら、老境に佇むインディのドラマを味わい深く掘り下げることもできただろう。それにしては「ファンの喜ぶインディ・ジョーンズ映画」を意識しすぎた感があり、そのせいでアクションシーンにおけるスピルバーグとの資質の違いが際立ってしまっている。

 端的に言って、マンゴールドは人間を大事に撮りすぎるのではないか。スピルバーグは活劇演出において、言い方はちょっとアレだが人間を単なるコマとして扱い、危機また危機の連続をスリルたっぷりに構築する天才である。エキストラ的な脇役をギャグとして死に追いやることにも躊躇がなく、同様に主人公に対してもまったく気を遣わない(観客はハリソン・フォードが本当に何度も死にかけるように感じて、ゲラゲラ笑いながら手に汗握る)。それでいて後味の悪さを残さない程度にとどめる、描写のバランス感覚が絶妙なのだ。ちなみにそのバランスは作品によって操作可能であり、たとえば『ミュンヘン』(2005年)の女性スパイ殺害シーンのように、後味の悪さをMAXにまで引き上げることもできる。そこが天才たる所以だ。

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