Bunkamura ル・シネマが見つめてきた“渋谷” 担当者に聞く今までの歴史とこれからの未来

大人のカルチャー体験の入り口だったル・シネマ

――先ほど「ル・シネマっぽい」という話がありましたが、その「ル・シネマっぽい」という感じが、どのように作られていったのかを、ここから少し振り返っていきたいと思います。ル・シネマは、Bunkamuraという複合文化施設の中の映画館として、1989年の9月に開館しました。そもそもは、どんなコンセプトのもと、立ち上げられた映画館だったのでしょう?

中村:当時はちょうど、渋谷のミニシアターが注目され始めていた頃で、ユーロスペース(1982年~)さんをはじめ、シネセゾン渋谷(1985年開館、2011年閉館)さんや、シネマライズ(1986年開館、2016年閉館)さんなどが、続々とオープンしていた頃で。渋谷以外でも、シネ・ヴィヴァン六本木(1983年開館、1999年閉館)さんがあって、新宿には、私たちと同じグループですが、シネマスクエアとうきゅう(1981年開館、2014年閉館)があって、いわゆる「ミニシアターブーム」が巻き起こり始めていた頃だったんですよね。

――まさに、その渦中にオープンしたと。

中村:はい。当時のミニシアターって、「単館劇場」と言われたように、基本的には、その一館でしか上映しなかったんですよね。その作品を観るなら、その劇場に行かなければならないと。全国を回る場合でも、少なくとも数週間はその劇場でしか上映しないなど、そのあたりが徹底していたこともあり、それぞれの劇場のテイストみたいなものが、かなりはっきりあったんです。私たちは、当時としては後発の映画館だったので、やはり他の劇場さんとテイストが被らないものというのは、すごく意識していて。そこで、自分たちの映画館には「どういうカラーをつけられるだろう?」と考えたときに、「ル・シネマ」という館名もあり、ヨーロッパの作品……大人の鑑賞にも堪え得るようなヨーロッパの良作をセレクトした形でやっていこうというのは、その頃から決まっていました。

野口:「ル・シネマ」という名前もそうなのですが、Bunkamuraの建物自体、ジャン=ミシェル・ヴィルモットというフランスの建築家がデザインしたものだったりして、何かとフランスには、縁が深いんですよね。建物の地下には、パリの伝統を受け継ぐカフェ「ドゥ マゴ パリ」も入っていましたし。

中村:なので、必然的にフランス映画を中心にっていうふうにはなっていったんですけど、先ほど野口のほうからも話があったように、Bunkamuraという大型複合文化施設の中にあって……オーチャードホール、シアターコクーン、ザ・ミュージアムという、複合文化施設の中にある映画館なので、他の公演や展覧会にいらっしゃるお客様にも興味を持っていただけるような作品を、というのは、ラインナップを組む上で、最初の頃から強く意識していました。

――いわゆる「映画ファン」だけではなく、カルチャー全体に興味がある人にも訴求する作品を選んでいったわけですね。

中村:そうですね。一日中、そこで過ごしていただけるような作品を、というところを目指すと、音楽であったり演劇であったり美術だったり、そういったテイストや主題を持つ作品が、自ずと多くなっていったという。

野口:私はまだ、その頃はル・シネマで働いてはおらず、学生だったんですけど、ル・シネマで映画を観たあと、ドゥ マゴ パリでお茶をしながら、タルトタタンを食べたりして……そういった、少し背伸びをするような大人のカルチャー体験のひとつとして、ル・シネマでの映画鑑賞があったように思います。

「Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下」ドゥ マゴ パリのスタンドカフェで提供されるタルトタタン

中村:ちなみに、ル・シネマ自体のこけら落としは、クロード・ルルーシュ監督の『遠い日の家族』(1985年)と19世紀初頭に活躍した有名なヴァイオリニストの生涯を描いた『パガニーニ』(1989年)だったんですけど、そのあとすぐに東京国際映画祭のメイン会場がBunkamuraになることが決まっていて……。

――当時は渋谷がメイン地区でしたよね(※1985年にスタートした東京国際映画祭は、2003年まで渋谷がメイン地区だった)。

中村:そうなんです。だから、少しイレギュラーな形だったというか、その2作品の上映期間が、通常よりも短かったんですよね。なので、そのあと「グランドオープン作品」として、イザベル・アジャーニが主演した『カミーユ・クローデル』(1988年)の上映を、わりと大々的にやったのですが……あの映画は、本当に女性のお客様がたくさんいらっしゃって、大ヒットしたんです。女性の芸術家にスポットを当てようというのは、ザ・ミュージアムなども含めた、Bunkamura全体の方針のひとつでもあって。そこでひとつ、ル・シネマの方向性が定まったような気がします。

――個人的には、パトリス・ルコント監督の『髪結いの亭主』(1990年)、ジャック・リヴェット監督の『美しき諍い女』(1991年)、ポーランドのクシシュトフ・キェシロフスキ監督の「トリコロール三部作」などの印象が強いですが、ひとつの転機となったのは、やはりチェン・カイコー監督の『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年)でしょうか?

中村:そうですね。ヨーロッパの映画に加えて、アジア映画も多く上映するようになったきっかけは、オープンして5年目の『さらば、わが愛/覇王別姫』でした。この夏に4K版のリバイバル上映があることで、また注目を集めているようですが、あの映画が大ヒットしたことは、我々にとってもすごく大きなことで。そのあとも、チャン・イーモウ監督の『初恋のきた道』(1999年)、ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』(2000年)など、アジア映画の上映も積極的にやるようになって。ただ、ヨーロッパとアジアで、はっきり分けているわけではないんですよね。舞台はアジアだったとしても、どこかヨーロッパの映画の雰囲気があるものを選んでいて。その意味では、トラン・アン・ユン監督の『夏至』(2000年)も、強く印象に残っています。彼はベトナムをルーツとしながら、多分にフランス的なテイストを持った監督なので。恐らく、それらの映画を観てくださったお客様は、そういった「匂い」みたいなものを、きっと嗅ぎ分けてくださったんじゃないかと思うんですよね。

野口:私もあの映画を観たあと、実際にベトナム旅行をしました(笑)。ただ、個人的にはやはり、ウォン・カーウァイ監督の『花様年華』(2000年)が、すごく印象に残っていて。当時、ウォン・カーウァイ監督がすごく注目を集めていて、『恋する惑星』(1994年)は、銀座テアトル西友(1987年開館、2013年閉館)さん、『天使の涙』(1995年)はシネマライズさんでの上映だったんですけど、『花様年華』は、ル・シネマだよなって、個人的には思っていて……私がル・シネマで働くようになる前の話なんですけど(笑)。

――わかります(笑)。

野口:ウォン・カーウァイ作品の中でも、これはル・シネマっぽいというか、かなり大人の雰囲気のある作品じゃないですか。今回の「マギー・チャン レトロスペクティブ」では、4K版を上映したのですが、チャイナドレスをお召しになってご来場いただいたお客様もいらっしゃっていて。その方が、上映前にカウンターで瓶ビールを飲んでいらしたのですが、「ああ、ル・シネマっぽい光景だな」って思いました(笑)。

――確かに(笑)。ただ、その『花様年華』のあたりから、「ミニシアターの街」としての渋谷のイメージも、少しずつ変わっていったように思っていて。実際のところ、渋谷の街の変化みたいなものを、どのように感じていたのでしょう?

野口:そうですね……2003年に大劇場の渋谷パンテオン(1956年開館)が閉館し、2007年に新宿バルト9さんがオープン、翌2008年に新宿ピカデリーさんが新装オープンして、大きな作品に関しては、渋谷から新宿という流れができていったのかなとは、個人的には思います。 

――そのあたりが、ひとつの分水嶺だったんですかね。そして、2015年には、全12スクリーンを設置したTOHOシネマズ 新宿がオープンして……。

野口:ただ、渋谷に関して言うと、ミニシアターの数が、すごく減ったということは、実は一度もないんですよね。渋谷シネパレス(1992年開館、2018年閉館)さんのあとにシネクイント(1999年開館、2016年にビルの建て替えのため一時休館、2018年より現在の場所で再開業)さんが入ったり、それこそ渋谷TOEIさんのあとに、私たちル・シネマが「Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下」として入ったりしているので、トータルの館数としては、実はあまり変わってないのかなという気もしていて……。

――そう言えば、ル・シネマさんの旗振りで、「渋谷ミニシアター手帖」という冊子を発行されていましたよね?

野口:はい。コロナの前になりますが、「渋谷ミニシアター手帖」という地図を作って、渋谷のミニシアターはもちろんですけど、そのまわりには、映画の行き帰りに寄って欲しい素敵なお店もありますよっていうのを、小冊子として私たちが企画・編集して……。

――あれは、いつでしたか?

野口:2018年の12年に2019年度版を出して、2019年の12月に2020年度版を出したんですけど、そこからコロナになってしまって、掲載していたお店も一部なくなってしまったところがあって。あと、ご協力いただいていたアップリンク渋谷(2004年にアップリンクXとして開業、2006年よりスクリーン数を増やしアップリンク渋谷として再開業、2021年閉館)さんが閉館したり、私たちル・シネマも移転して……。

――渋谷のドラスティックな再開発は、依然として続いてますし、コロナ禍もありました。またひとつ「変化のとき」を迎えているのかもしれませんよね。そういった意味でも、ル・シネマ 渋谷宮下には、引き続き注目していきたいと思います。

中村・野口:ありがとうございます。

――先ほどの話にもありましたが、当時は後発だったとはいえ、渋谷に「ル・シネマ」の看板を掲げてからは、すでに30年以上経つわけで……渋谷のミニシアターの中では、かなりの古参になりましたよね。

中村:そうですね(笑)。もちろん、ユーロスペースさんなどはありますが、まあ私たちも結構古いですよね。そういう意味では、今のこの場所を得られたというのは、本当に幸運なことですし、ここからしばらくのあいだは、若いスタッフと一緒に、それこそ、これまでのル・シネマではできなかったようなことに、どんどんチャレンジしていけたらと思っています。

野口:複合文化施設を出て、初めて映画館単体となるので、正直不安なところもあるのですが、それを良い意味で捉えて、先ほどご紹介させていただいた『大いなる自由』という初めての配給作品もそうですし、ファスビンダー特集もそうですし、今までできなかったことを、積極的にやっていけたらなって思っています。それこそ、2027年度に戻るとしても、隣には新しい商業施設が建っていて……きっと時代も違っていると思うんですよね。なので、元の場所に戻って、前と同じことをやるのも、やっぱり違うような気がしています。それまでのチューニングではないですけど、このル・シネマ 渋谷宮下という場所が、いろいろな実験をする場になったらいいなと思っているので、引き続きご注目いただけるとすごくありがたいです。

■劇場情報
Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-24-12渋谷東映プラザ 7階・9階(1階:チケットカウンター)
公式サイト:https://www.bunkamura.co.jp/cinema_miyashita/

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