『コクリコ坂から』が描いた“男の不可侵領域” 宮﨑駿脚本に通底するロマンチシズム
7月14日は記念すべき日だ。なぜなら日本のアニメーション界を長年牽引してきた宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』が公開されたからである。
2013年制作の『風立ちぬ』以降、宮﨑監督の作品は長らく公開されずにいたが、満を持して披露される今作にあたっては一切の前情報なく、劇場に足を運んだ観客のみがその全貌を知るという異例のスタイルを取っている。
そのような姿勢を取ることができるのは、宮﨑監督が手がけるスタジオジブリ作品の圧倒的な知名度が下敷きになっているからに他ならない。国内外を問わず高く評価されるジブリ作品に、新たに名を連ねることとなる『君たちはどう生きるか』。時を同じくして、7月14日放送の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)では宮﨑駿監督の息子である宮崎吾朗監督が手がけ、宮﨑駿(宮﨑駿・吾朗父子の双方と脚本を共同執筆した経験を持つ丹羽圭子も参加)が脚本を担当した映画『コクリコ坂から』が放送される。
1980年に少女漫画雑誌『なかよし』(講談社)に掲載された同名漫画を原作とした本作。吾郎監督が手掛ける作品としては『ゲド戦記』に次ぐ2作目にあたる。上記の通り、本作は脚本を宮﨑駿が担当しており、親子の共同作業を経て制作された作品だ。
今回の稿で注目したいのは、宮﨑駿の脚本にジブリ作品に通底したダンディズム/ロマンチシズムである。それを解説するために、先に述べた1作を引き合いに出して綴りたい。第二次世界大戦下において、零戦を設計することに人生を費やした実在の人物、堀越二郎を主人公とした『風立ちぬ』だ。『コクリコ坂から』『風立ちぬ』両者を比較した時に見えてくる、宮﨑駿が映画の中に描いた漢気とロマンとを照らし合わせてみたい。
まずは両作品に見える“男の不可侵領域としての思想が投影されたモノ”について、具体的に語ってみる。ジブリ作品において、最も宮﨑駿の“愛情”が垣間見えるものーーそれは飛行機を始めとした“空飛ぶメカ”だ。『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』など、宮﨑監督が手がけた代表的な作品には必ずといっていいほど空飛ぶモノが印象的に描かれている。『風立ちぬ』において、まぎれもなくその対象となっているのは零戦だろう。空飛ぶモノに対しての愛着について、宮﨑監督はこのように語っている。
「飛行機の歴史は凶暴そのものである。それなのに、僕は飛行士たちの話が好きだ。その理由を弁解がましく書くのはやめる。僕の中に凶暴なものがあるからだろう。日常だけでは窒息してしまう」
(サン=テグジュペリ著、堀口大學訳 新潮文庫『人間の土地』後書きより)
そこには宮﨑監督個人の飛行機への思いが綴られており、この言動を踏まえて観る『風立ちぬ』は、主人公である二郎が前のめりで設計机にかじりつき、鉛筆で線を描く姿に宮﨑監督の面影が見えてくることかと思う。飛行機は宮﨑駿監督の、二郎の、男のロマンであり、ある種の不可侵領域ーー戦争下での男と女の役割もそこに介在させた上で、そう言及するーーなのだ。