『silent』は“古くて新しい”作品だった 2022年の話題作を軸に近年のドラマシーンを総括

第二部:村上春樹的な主人公が役割を終え、SNSによって起きた16年越しの奇跡的

 ーー第一部では成馬さんと木俣さんが『silent』をどう捉えていたのかという話を伺いました。本作をどう評価するかで、世代間ギャップが浮き上がるというお話があって、田幸さんは本作を観てどう感じましたか?

田幸和歌子(以下、田幸):娘に聞いてみたら、20代の子たちの中ではすごく盛り上がっているようでした。そもそも20代でドラマを観ない子もすごくいますけど、観ている人は『silent』は大体評価しているそうです。私がよく書いている媒体だと、40〜50代の女性読者にも評価が高いんですよ。だから、実は30代ぐらいが一番番抜けるところなのかなという気がします。40〜50代の女性とかだとドラマ黄金期を知っていて、そこでドラマにハマっていた人たちは懐かしさを感じているのが多いらしくて。すごく今の時代の空気に合っていて、リアルで現代的にもかかわらず、昔すごくリッチだった世代が観ても刺さるようにちゃんと作られているというか。若い頃にハマっていたドラマみたいに捉えてる人が結構いるのが面白いなと思いました。

成馬:1990〜2000年代に北川悦吏子さんのドラマが好きだった層が支持していたということですよね。

田幸:そういう気がします。私はとても好きでした。恋愛の話はもちろん重要ですけど、家族の描き方が良いなと思っていて。息子に対するお母さんのあり方や、距離がありそうに見えるお姉さんが、実は自分の産まれてくる子供に障がいを持つんじゃないかという目線があるとか。妹が1人で勝手に手話の勉強をしていたりとか、その家族愛のところに泣かされました。それはおそらく世代的なところで刺さったのかなとは思います。

成馬:『silent』では、恋愛関係になろうとすると片方が一方的に「いや、僕なんかが……」って引くような状況が繰り返されて、対立を描かないんですよね。そこは90年代の恋愛ドラマとの大きな違いで。湊斗(鈴鹿央士)という役には、特に4、5話で本当に驚きました。ベースにあるのが善意で、基本的に善意を施すことは悪いことじゃない、施される側の方が罪悪感を抱くという構図になっている。その中で唯一、春尾(風間俊介)だけが打算的な動機からボランティアをはじめて、奈々(夏帆)と出会い近づいていく。少し前のドラマだと、彼が主役で、 一番感情移入しやすいキャラクターだったと思うんですよね。彼みたいな捻れた動機から状況に「やれやれ」と言いながらコミットしていく、村上春樹的な主人公が役割を終えたのかなぁと感じました。面白いのが、春尾を演じる風間俊介は、『それでも、生きていく』(フジテレビ系)で文哉を演じていたんですよね。当時の風間俊介って、ドラマの中で“1番心がわからない人”を演じる人だったんですよ。でも『silent』では、一番考えてることが理解できるのは春尾なんですよね。

田幸:その善意がすごく残酷というのも特徴だなと思いますね。春尾が善意で始めたことなのに、奈々はそれを全然喜ばなかった。むしろそれをツールにして春尾が世界を広げることに対してすごくショックを受けていて。その手話をツールにして世界を広げることに関してだと、奈々が想(目黒蓮)にあげたものをさらにプレゼント包み直して、紬(川口春奈)に渡したみたいっていうあの感情も、それぞれ善意なのにやられた側にとっては自分を踏み台にしてどこか世界を広げていっちゃうような残酷さがやっぱりある。

成馬:湊斗がフったときのタイミングって、意地悪な見方をすると「損切り」にも見えるんです。これ以上この関係に突っ込んでいったときに、自分が地獄を見る直前で別れることで、この女に対しての最大限のダメージを与えてやろうっていう、穿った見方もできる。まぁ、これは心が汚れたおじさんの穿った見方で、そんな意図は、実際は全然全くなくて(笑)。

田幸:みんな善意でやりつつ残酷な面を持ちながらも、すごく臆病じゃないですか。だからこそ、「え? ここで別れちゃうの?」というところで湊斗が去っていくのもそうですし。しかも湊斗はその現実とすぐ向き合えなかった。なんとなくこういう恋愛ものとして観ると友達より恋愛相手の方が上にされがちですけど、この作品だと、その関係性って別のものであって。恋人の方が親密とか距離が近いわけじゃない。友達には友達の親密さ、友達だけの世界がある。恋愛だとまず相手ありき、そこを最優先するのが当たり前みたいな形だったのに、その描き方も興味深かったです。

成馬:パッケージだけ見ると健常者と聴覚障がい者の恋愛ドラマなんですけど、細部に妙に気になるものがたくさんあるんですよね。作者の生方さんが自分の感覚で書いた結果、自分の中で整理できていないものが色々とにじみ出ている。それを読み解くのが、こちら側としてはめちゃくちゃ楽しくかった。若い視聴者は素直にシンクロしていて「泣ける」みたいな感じだと思うけど、そこから外れた場所にいる立場からすると興味深い作品です。

田幸:たしかに生方さんはものすごく感覚的な感性の方だと思います。その矛盾していたり、でこぼこしているものを最大限に出しているプロデューサーさんの手腕がこの作品は大きいなと思います。

ーー『silent』はSNSでも盛り上がりがすごかったですが、作り手たちがSNSの声に影響されすぎて作られているドラマも多くなっている気がしていて。作家性みたいなところのバランスとの難しさもあると思うのですが、ある程度視聴者が望むものを見据えて作って行く必要もある中で、SNSの反響との向き合い方について、どう考えますか?

田幸:2021年頃はSNSの声を拾いすぎているのがすごく表面的でしたね。所謂、『あなたの番です』(日本テレビ系)のような考察系が量産されているとき。もっと昔にネットの掲示板の声を裏切るためにばかりに迷走していってしまった漫画がたくさんあったように、一時は何でもかんでも伏線回収ばかりやらなきゃいけない、そういうドラマばっかりになったらどうしようと。でも最近は、SNSの見方に対しても振り回されるばかりじゃない拾い方が成熟してきたところもあるのかなという気はします。

ーーSNSがドラマに与える良い面はどうでしょう?

田幸:SNSによってちゃんと正しい評価がされて、視聴者の見方が作り手や出演者の方に届けられるようになったというのは、プラスの面で大きいと思っています。私は2022年に再放送されていた朝ドラの『芋たこなんきん』(NHK総合)が大好きで、2006年に放送された当時は、ヒロインの年齢とか「作品が地味だ」と「低視聴率だ」とばかり言われていたんですよ。現場の人たちはみんなすごくいいものを作っているという自信を持って作っていたのに、当時は作り手にも出演者にも届いていなくて、朝ドラ黒歴史ベスト10みたいなのに入れられたりするぐらいでした。そういう悔しい思いをしていた作品が、16年ぶりに再放送されて、初めてSNSの声で脚本家や出演者にちゃんとまともに観て評価する人たちの声が届いたというのは、SNSによって起きた16年越しの奇跡的な一面だと思います。そういう意味も含めて、やっぱり振り回されてほしくないけれども、出演者や脚本家、プロデューサーにとって、良い作品を作っているのであれば自信を持ってもらうために、視聴者がその声を届けていく必要性があることを感じたのが2022年でしたね。

ーー2022年のドラマを総括してみたときに、最近のドラマシーンにはどんな傾向があると感じていますか?

成馬:フィクションと社会の距離が、近くなってきていると感じます。

田幸:そうですよね。社会派のドラマもすごくいいと思うんですけど、そのフィクションとの距離を描いていく軸に、『17才の帝国』と『エルピス』と、2021年の『今ここにある危機とぼくの好感度について』(NHK総合)があって、渡辺あやさんと佐野さんのお2人がいるなと思います。それぞれの距離感でいくと、やっぱり『エルピス』が1番現実に近い。実在の政治家にかなり似ている人が出てきたり、実際の事件から着想を得ていて、そこの距離が私にはちょっと近すぎるような気がしたんですね。

成馬:日本のフィクションは現実の政治や社会問題を扱うのが苦手だったのですが、2019年の映画『新聞記者』以降、試行錯誤が始まっていて、2022年はドラマ版『新聞記者』(Netflix)、『エルピス』と『仮面ライダーBLACK SUN』(Prime Video)が出てきた。日本だとアレルギー反応が過剰ですが、現実の政党や政治家の名前を出して劇中で批判的に描くのって、海外の作品だと当たり前ですよね。NetflixやHBOの海外ドラマが配信で簡単に観られるようになっている現在、佐野さんを筆頭に、日本で社会派ドラマを作れないことはおかしいと考える若い作り手が年々増えている状況は、肯定的に受け止めています。まだ内容は玉石混交で、現実の事件を雑に繋ぎ合わせた陰謀論めいた物語になってしまう危うさも抱えていますが、現在はリハビリ期間で5年くらいかけて少しずつ洗練されていくのではないかと期待しています。商品や芸能人の固有名詞を劇中に出すのと同じ感覚で、現実の政治の話も、適切な距離感でできるようになればいと思うのですが、今はまだ、難しいですよね。

田幸:『エルピス』はそこを出してしまうことがすごく大きな意味だったと思うんですけど、その一方で『17才の帝国』とか『ここぼく』と違って、かなりそれそのものを連想させるものがある一方で、そうではないふわっとしたものもあって。その辺のバランスはどうなんだろうと思うところがありました。政治系のドキュメンタリー映画とかをよく観るんですけど、現実の方が遥かにすごいので、ドラマを観ると人物像とかが若干物足りない気がするんです。やっぱりフィクションの人たちってかっこいいんですよ。ドキュメンタリーに出てくる人たちって、もっとおバカでもっと笑っちゃう。その人物の綺麗さ、かっこよさがやっぱりフィクションなので、現実に近いからこそ、そこが気になる気がしました。

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