『舞いあがれ!』赤楚衛二にのしかかる期待と重圧 貴司が聞きたいと思う“声”は?

 いよいよ最終週を迎えた連続テレビ小説『舞いあがれ!』(NHK総合)。しかし、本作のもう1人の主人公とも言える貴司(赤楚衛二)は今まさに歌人としてのスランプに陥っている。

 リュー北條(川島潤哉)からそろそろ3冊目の歌集をまとめたいというオファーが入るも、貴司の手はピタリと止まってしまい、言葉が出てこない。

 そんな中、リュー北條は貴司について「苦しんでこそいい歌を詠む人だ」と言うが、当の本人は過去2冊目までの歌集の時とは違う、自身の中で確実に起きている変化を、その原因はわからないもののはっきりと感じているのだろう。そもそも貴司は“普通”という曖昧なのに集団内では強力に作用する暗黙のルールに馴染めず、さらにあまりの多忙さに追い詰められて会社を辞めた後、五島を訪れ、そこから日本全国を放浪し自分を見つめ直す旅に出ていた。旅のお供は短歌で、初めての土地で過ごしながら自分も知らない自分自身と出会い、知り合い、面白がり、自身を理解し取り戻していった。

 今回もパリにいる八木(又吉直樹)に会うなり、自分で良いと思っていない歌について貶されても褒められても辛いと思わず本音が漏れる。「こんなんでええんかなって迷いながら本出して、それが今までよりずっと褒められて、歌一個も作られへんようになってん」と思い詰めたように言うが、短歌を詠む目的が“歌集のために”とすり替わってしまった途端、八方塞がりになってしまったのだろう。

 そもそも貴司にとっての歌とは、自分自身の救命処置だったり、舞(福原遥)や大切な人への想いをそっと託せたり閉まっておける宝石箱やアルバム、あるいは誰かと静かに繋がり合える媒介のような存在だった。それが“歌集のために”と言われた途端に届けたい対象を失くしてしまったのだろう。そんな不安と空虚をよそに、むしろ自身の揺れや紆余曲折はまるで最初からなかったものとして、綺麗に整備された一本道かのように評されてしまうことにもまたやるせなさや戸惑いを感じている。

 しかし、そのことを舞や歩(安井姫壱)がいる幸せを享受しているからこそ、誰かに何かを伝えたい、あるいはそっと繋がりたいという祈りの枯渇を招いてしまい歌が詠めないのだと納得しようとしていたとも素直に明かす。どこまでも、とことん真っ直ぐで繊細で嘘がつけない人だ。だからこそあんなふうに何気ない光景の中にある温かさをつぶさに見つめ見逃さず言葉として紡ぎ出せるのだろうが、今は顔の見えない大きな主語や期待だけが彼の背中に覆いかぶさってきているようだ。

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