『イニシェリン島の精霊』が“難解な映画”である背景 ブラックコメディが持つ意義を考える
映画『イニシェリン島の精霊』が1月27日に公開された。予告編を観れば、2人の男の友情が決裂し、そこから観客である私たちが納得できる決裂の理由やそれらが辿り着く先がなんとなくポジティブに描かれることを想定した人は多いだろう。しかし本作は予告から想定される展開には一切ならず、終始不穏で徐々に暴力を含んだ展開しか待っていない。
本作のジャンルはブラックコメディに分類されているが、いわゆるアメリカ作品で扱うブラックなユーモアで豪快に笑い飛ばすような分かりやすい演出は取られていない。そもそもブラックコメディとは生死や差別、偏見や戦争、政治など、笑いとして昇華することがタブーとされている事柄を扱い、それらをネガティブでグロテスクな内容とともに「笑う」ことを前提として描かれるジャンルのことを指す。
例えばアメリカ制作のストップモーションアニメ『サウスパーク』や、2020年の第92回アカデミー賞で作品賞を受賞した韓国映画『パラサイト 半地下の家族』(以下『パラサイト』)も、同じブラックコメディというジャンルに分類される。ブラックコメディの中でも、『サウスパーク』はブラックなネタを笑うものだということが全面に押し出されているが、『パラサイト』はスリラー要素も加わりシュールなユーモアとシリアスが行ったり来たりしているため、観客によって作品に対する印象ががらりと変わる出来に仕上がっている。この2作品を比べただけでも、ブラックコメディというジャンルが多彩なアプローチの上に成り立っていることが分かるだろう。
また本作は主人公のパードリックとその(元)友人であるコルムの対立が、アイルランド内戦のメタファーとしても機能している。本作の舞台は1923年のアイルランドにある架空の小さな孤島だが、作中幾度となく本土で戦争が繰り広げられている描写が登場する。1922〜1923年まで続いたアイルランド内戦は1919〜1921年に起きた対イギリスとのアイルランド独立戦争が原因の戦争だが、イギリスとアイルランドの関係性は現在まで続く根深い問題でもある。2019年にイギリスがEU離脱を宣言した際も北アイルランドとトラブルが生じ、暴動にまで発展したことは記憶に新しい。
複数の要素を絶妙なバランスで成立させている本作は第80回ゴールデングローブ賞で最多7部門8ノミネートされ、作品賞、主演男優賞、脚本賞を受賞。先日ノミネーションが発表された第95回アカデミー賞でも、主要8部門9ノミネートされている。日本ではこれらの輝かしい功績が発表されたあとの公開だったため、本作に対する観客の期待値も自然と上がったことだろう。しかし実際に鑑賞した人の中には「難解だった」「想定していた内容と違った」という意見も多い。そうした要因は先述したようなブラックコメディとしての側面や、内戦のメタファーとして機能している2人の関係性などが作中で分かりやすく提示されていないからだ。
ブラックコメディをさらに細かく分けて考えてみると、本作は『パラサイト』と同じような特色を持っていることが分かる。そのため作中にブラックなユーモアを見出せない観客も少なくなく、難解に感じる要因となってしまう。さらに作中では戦争のメタファー以外にも、知識階級から来る他者への見下しや暴力によって相手を支配しようとする姿が、薄暗く広大で、美しいが何もない島を舞台に描かれる。そうした描写は不穏そのものだが、サスペンスでもスリラーでもホラーでもないため、さらに混乱する部分でもある。本作をブラックコメディであると分かった状態で鑑賞することと、予告だけ観た状態で鑑賞することでは受け取り方にギャップが生まれてしまうのは必然とも言えるだろう。