藤ヶ谷太輔が新時代のダメ男像を確立 『そして僕は途方に暮れる』が必見である理由
そんな裕一の前に、ある人物(豊川悦司)がひょっこりと現れる。この男は、裕一の生き方とそっくりな暮らしを長年続けていて、いまだに世間のしがらみや期待、責任や義務などからずっと逃げ続けている。決して、手本にしてはいけない人物なのだ。小学生にとって、夏休みの宿題は終わらせなければならないものだが、それでも一定数、未提出のままでいる生徒は存在する。本作のダメ男二人は、夏休みの宿題をいつまでも出さない小学生のようなノリで、やらなければならないことを放棄し続けているのである。しかし命がある限り、そのツケはいつか払わなければならないはずなのだ。
本作の凄まじさは、藤ヶ谷太輔や豊川悦司らが見事に演じるダメ男への、俳優や監督の理解のレベルが非常に高いというところだ。水が低いところに流れていくように、嫌なことから逃げ続ける人間のダメぶりが、これまでにないほどのリアリティをもって表現されているのである。観客も、苛立ちを通り越して、思わず共感してしまう部分があるかもしれない。
このような主人公像が、寅さんよりもシビアな状況のなかで描かれるようになってきているのは、日本社会の状況と無縁ではないだろう。かつて日本は、一家の大黒柱となる夫が、専業主婦を養っていくという構図が多く見られた。それは家父長的で保守的な価値観ではあるが、同時に、“男の自信”や“メンツ”が保てる理由にもなっていたといえる。しかし、非正規労働の規制緩和や、日本経済の低迷などによって、労働者に十分な収入が与えられず、必要に迫られた共働き世帯が増えていっているのが実情だ。
社会経済や雇用条件の動きは、一般人の経済状況に、すぐに反映することになる。しかし、慣習や価値観の方は、なかなか変化しにくいものだ。なまじプライドが高いがために、そこの折り合いがつかなくなっている男性が、生きづらくなってきているところがあるのではないか。寅さんとは、また違う角度から、そういった現実のプレッシャーから逃避したいという感情が、裕一たちの姿に象徴されているようにも感じられるのである。
裕一たちは、映画を観ることが好きで、いつかは作り手の側になりたいという願望があるキャラクターだ。しかし、世の中が不安定であれば、そういった職業も成立しづらい。その意味でも、彼らのプライドは満たされない状況にあるといえる。どうせうまくいかず責められ、人格が傷つけられることになるのならば、もう姿をくらまして、全てからドロップアウトしたいという感情が芽生えてくるのも、理解できなくはない。
一方で、本作に複雑な“凄み”を感じるというのは、これがただ、ダメ男のネガティブな部分のみを描いた内容にとどまっていないからである。物語は、当初の想像とは異なる、意外な方向に転がっていく。そしてクライマックスでは、藤ヶ谷太輔や豊川悦司と同等に、前田敦子がやはり凄まじいリアリティで、ある修羅場を演じてみせている。この鬼気迫るシーンは、同じような状況を経験した人間でなければ用意できないような種類の、異様な現実感に溢れているのだ。そして、その展開は、ある意味でラストで立ち上がってくる、一種の“芸術論”へと繋がっている。
かつて映画化もされた、菊池寛の『藤十郎の恋』という、戯曲・小説がある。その物語の主人公は、江戸の元禄時代を舞台に、人妻と関係を持つ役を演じることになった藤十郎という役者だ。自分の役者としての才能に限界を感じていた彼は、実際に現実の人妻を誘惑して騙すことで、役の心理を掴もうとする。だが、人の心を弄んだことで、その後、悲劇的な事態が起こってしまう。そんな経験をした藤十郎は、役者の道を諦めるかと思いきや、むしろ役者として急激な成長を遂げることとなるのだ。まさに、芸術のために悪魔に魂を売るような行為である。
多くの要素を想像で描くことができる表現者もいるが、実際に何かを見て、体験することで芸の道を体得できるタイプの表現者もいる。三浦大輔監督自身が、本作で起きたような修羅場のようなものを、実際に体験しているのかどうか、筆者には分からない。しかし、少なくとも本作のラストシーンでは、そういったタイプの芸術が存在し、人生のネガティブな部分を昇華させることができるのだという、作り手の信念を感じるところがある。
そして、藤ヶ谷太輔らキャスト陣もまた、それを表現するため、同様の境地を求められて演技をしていたのではないのか。そして、だからこそ本作には、随所にユーモアが散りばめられながらも、言葉にし難いような重厚さが備わっていると感じられるのかもしれない。このようなレベルでの演技を求められるのは、俳優にとっては苦しいことだろう。だが同時に、それは得難い挑戦の機会でもあったはずだ。
そんな領域で勝負する俳優たちの演技を目の当たりにできる観客もまた、得難い鑑賞の機会だといえそうである。そして、この角度からの深みのあるアプローチというのは、舞台と映画の両方に足をかけた三浦監督ならではのものだろう。
■公開情報
『そして僕は途方に暮れる』
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
出演:藤ヶ谷太輔、前田敦子、中尾明慶、毎熊克哉、野村周平、香里奈、原田美枝子、豊川悦司
脚本・監督:三浦大輔
原作:シアターコクーン『そして僕は途方に暮れる』(作・演出 三浦大輔)
音楽:内橋和久
エンディング曲:大澤誉志幸「そして僕は途方に暮れる」
企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
制作プロダクション:アミューズ映像企画製作部、デジタル・フロンティア
製作:映画「そして僕は途方に暮れる」製作委員会
©2022映画『そして僕は途方に暮れる』製作委員会
公式サイト:https://happinet-phantom.com/soshiboku/
公式Twitter:@soshiboku_movie