『舞いあがれ!』は“失われた20年”を取り戻す物語  不穏な年またぎを振り返る

 いまだかつて、こんなに不穏な「朝ドラの年またぎ」は見たことがない。2022年最後の『舞いあがれ!』(NHK総合)が去る2022年12月28日に放送され、物語の前半戦が終了した。

 舞(福原遥)は航空学校を卒業し、「ハカタエアライン」から内定をもらうが、2008年9月に起きたリーマンショックの影響で採用が丸1年延期となる。東大阪で父・浩太(高橋克典)が経営する「IWAKURA」も当然、大打撃を受けた。人員整理を余儀なくされ、家計を切り崩して社員への給与を工面するところまで追い詰められていたのだ。

 これまで、「少女編」「人力飛行機編」「航空学校編」と、ターンごとに異なるカラフルな色合いを見せてくれた本作だが、第13週「向かい風の中で」から始まった「IWAKURA苦難編」とでも言おうか、この“鉛色”の展開に、なんとも胸が苦しい。と同時に、ここからがこの作品が本当に描きたいことなのではないかと気づく。

 物語は、舞(少女時代:浅田芭路)が小学校3年生の1994年から始まった。つまり『舞いあがれ!』は、バブル崩壊とリーマンショックを経た、いわゆる「失われた20年」を丸ごと描くことになる。この「20年」、そして今も終わりの見えぬまま「失われた30年」に及ぼうとする破壊と喪失の月日。その中にあって登場人物たちがいかに生きていくのかを、このドラマは描こうとしているのではないか。

 「主人公」である一枚の紙切れが紙飛行機になり、ばらもん凧になり、人力飛行機になり、ジェット機になり、やがて永久機関を身につけた“自由な鳥”になって羽ばたいていく。舞の人生を表したオープニング映像の中で、紙飛行機が泥水に浸かってぺしゃんこになるシーンが暗喩する局面を、ともすれば第14週「父の背中」以降に迎えることになるのかもしれない。

 「空を飛びたい」という衝動に駆られ、パイロットを志す舞の成長物語と並行して描かれる、「失われた20年」パートの担い手が、ヒロインの父である浩太と、兄の悠人(横山裕)という構図だ。「少女編」でも、浩太が経営する岩倉螺子製作所(当時)はバブル崩壊の余波を受けて経営危機に陥っている。その頃小学校6年生だった悠人(少年時代:海老塚幸穏)は「有名私立中学に合格して、末は東大進学」という「人生計画」のために一心不乱に受験勉強に励んでいた。

 しかし家業の危難から、悠人は私立受験を断念せざるを得ないかもしれないという憂き目にあう。その後、悠人が中高で私立に進学したのか公立に進んだのかはドラマの中で明かされていないが、舞が浪速大学に進学した2004年、悠人はデイトレに勤しむ東大の4年生になっている。ともあれ、小学校6年生のときのこの一件が、悠人の人格形成に大きく影響を及ぼしていることは想像に難くない。

 人情派だが経営者としては見通しが甘く、何度も会社の経営危機に遭う浩太と、そんな浩太に反感を抱き、「指一本で億を稼ぐ」のが夢だと語り、実際に叶えてみせたリアリストの悠人。その後の未来を知る視聴者は、この対照的な父子が2008年にどうなるのかとハラハラしながら見守ったが、リーマンショック直前に浩太が無理押しの事業拡大を行ったがゆえ、IWAKURAは深刻な赤字経営に陥る。一方、悠人はリーマンショックを予言し、それを商機に変えていた。

 舞の幼なじみで、高校卒業後、就職した貴司(赤楚衛二)が仕事に忙殺され、頭と心が機能停止して失踪するエピソードは、ゼロ年代になって急増した過労死や過労自殺の問題を示唆していた。「かけがえのない命、そして人権の尊重」「幸福を追求する権利の保障」という、絶対に守られなければならない定めがなおざりになりだしたのも「失われた20年」の間に起こった由々しきことだった。

 同じく幼なじみの久留美(山下美月)の父・佳晴(松尾諭)は、けがを機に実業団のラグビー選手から外されてから自暴自棄になり、仕事を転々とする日々だった。2008年の時点でも無職で、カフェ「ノーサイド」で求人誌をめくっている。「今はいっぺん職失うたら、働きとうても働かれへんしな」と舞にこぼしているが、翌2009年7月には有効求人倍率が史上最低の数値を叩き出すという未来が待っている。

 ところで、このドラマは「どちらか一方だけが正しい」という描き方をしない。浩太には浩太の「道理」があり、悠人には悠人の「道理」がある。対になる一方を、必ず「逆も真なり」としている。子どもの頃の舞に祥子(高畑淳子)は、「舞は、人ん気持ちば考えらるっ子たい。じゃばってん、自分の気持ちも大事にせんば」と諭し、相反するように見えるふたつのことを「両方大事である」と教えた。

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