『チェンソーマン』デンジは“共感”を呼ぶキャラクター 規格外の主人公誕生の背景を読む
ついに、全世界待望のアニメ『チェンソーマン』が10月11日深夜24時からテレビ東京ほかで放送開始となる。2020年12月14日にアニメ化が発表、その後2021年6月27日にティザーPVが公開され、私たちは犬のようにスタジオMAPPAからの最新情報を待ち続ける日々を過ごしてきた。その辛抱が報われてしまうくらい、本予告から垣間見える作画のクオリティはアニメ史に名を残すことが期待されるほど良い。さらにEveやVaundyに女王蜂、Aimerなど豪華アーティストが集結し、毎週異なエンディングが用意されているなど、『チェンソーマン』は放送される前の発表段階にして規格外で、クレイジーだ。
規格外でクレイジーと言えば、本作の主人公デンジ。物語は彼が謎の相棒犬・ポチタと仕事に向かうところから始まる。随所随所の回想シーンにより、私たちはどのようにして彼とポチタが出会うのか知っていくことになるが、第1話から力強く植え付けられる主人公の印象は、生活苦である。赤貧洗うが如し、彼は雑木林にある何もない小屋で寝泊まりをしており、普段は木の伐採をして稼いでいる。しかし、その仕事は月収6万円。それだけでは暮らしていけないと、矢継ぎ早に彼が腎臓と右目、睾丸さえも売ったという情報が飛び出す。彼には亡き父親が残した多額の借金があった。こうして、仕事の中でも“割の良い”デビルハンターをやっている。それが第1話で描かれる、彼の行動動機である。
『チェンソーマン』は第1部が『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載され、第2部が現在『少年ジャンプ+』(集英社)にて連載中の“ジャンプ漫画”。しかし、デンジは“ジャンプ主人公”としては極めて異質な存在だ。例えば『ワンピース』の主人公ルフィは「海賊王」、『NARUTO -ナルト-』の主人公うずまきナルトは「火影」という称号に向かう。それはその称号とともに、世界に対して自分を認めさせるようなパーソナルな動機に近い。
かたや『僕のヒーローアカデミア』の主人公・緑谷出久は「ヒーロー」という称号の獲得によって他者を助けること、10月4日に久々に新刊が発売されて個人的に嬉しい『D.Gray-man』(以下、『Dグレ』)のアレン・ウォーカーはAKUMAと呼ばれる兵器から人々のみならず、兵器にとらわれた魂を救済し、悪の存在(千年伯爵)を打倒するという、パブリックな動機である。もちろんアレンをはじめ、他のジャンプ主人公の他を助ける動機がパーソナルな動機に転じていく場合もあるし、大概は世界を救うという大義につながっていく場合も多い。『ワンピース』も『NARUTO』も「俺が俺が」の主人公なのに対し、『ヒロアカ』や『Dグレ』は自己犠牲を厭わないタイプで、ジャンプの主人公は本当にざっくり分けるとこのどちらかになる気がする。
さて、そこで『チェンソーマン』の主人公デンジはというと「俺が俺が」タイプであると同時に、その動機が「今日の飯を食うため」という、非常にパーソナルかつ規模も小さい。「海賊王」や「火影」などの称号にも興味がなければ、他者を救おうという慈愛の精神もない。世界がどうなったって構わない。むしろ、世界の話をする前に自分の生をつなげていくこと。そこに彼の根本的な動機が集約されている。
「ひとつなぎの大秘宝」とか、そんなものは良いから美味しい朝ごはんが食べたいし、死ぬまでに女の子とセックスがしたい。住処の小屋もボロボロすぎて女の子を呼べないし、付き合うお金もない。デンジはこれまでの世間や少年漫画で主人公が“当たり前”にしてきたあらゆることが、できないところから始まる。こういった主人公の動機の変化に見えるのは、時代の変化だ。
『ワンピース』が連載開始された1997年付近は景気の落ち込みに対する財政・金融政策が行われていたものの、倒産やリストラが相次いだ。少しの間、ITバブルの影響で経済は回復するものの2000年にはそれが崩壊し、再び悪化へ。そういった時代から始まって大ヒット、『週刊少年ジャンプ』の顔になった『ワンピース』は財宝を探し出すビッグドリームを掲げ、1999年連載開始の『NARUTO』からは落ちこぼれで忌み嫌われていた主人公がのし上がっていく上昇志向を感じる。どちらも、何者でもない彼らが何者かになろうとするし、大層な夢や動機を持っている。