黒沢清と辿る“スパイ映画”の変遷 これからの『007』に期待すること

『M:I』シリーズとダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンド

『カジノ・ロワイヤル』(写真提供=Everett Collection/アフロ)

――『007』シリーズって、主演俳優によって、結構人気の波がありましたよね?

黒沢:やはりショーン・コネリーが非常に有名で人気もあったと思いますが、僕が本気で映画を観始めた高校生ぐらいのときには、「もうジェームズ・ボンドはやらない」と言って、ジョージ・レーゼンビーが2代目ジェームズ・ボンドになったのかな……あまり覚えていませんね。結局、その次の作品は、ショーン・コネリーがやったんじゃなかったかな? そのあとが、ロジャー・ムーアか……。

――ロジャー・ムーアのボンドは、ショーン・コネリーほどの人気はなかったような。

黒沢:僕はほとんど観なかったです(笑)。『007』シリーズに関しては、ショーン・コネリーが主演のものは、いわゆる「古典」として、ひと通り観ていたような気がしますけど、そのあとは正直、あまり観てないんですよね。

――ダニエル・クレイグ(2006年の『カジノ・ロワイヤル』からボンド役を担当)もですか?

黒沢:最初は「えっ、ダニエル・クレイグがボンドなの?」と思ったのですが、観た人が「いや、これがなかなか動物的でいいんだよ」って言うものですから、それはどういうことなのか確かめるために僕も観たんですが、これは面白かった。リアルタイムで、ジェームズ・ボンドの映画を観るようになったのは、ダニエル・クレイグになってからが初めてな気がします。

――実際、ダニエル・クレイグになってから、イメージ的にもクオリティ的にも、相当アップして、そこで新たにブランディングされ直したような印象があります。

黒沢:やっぱり『ミッション:インポッシブル』(以下、『M:I』)シリーズ(1996年~)に刺激されたところもあったのではないでしょうか。『M:I』シリーズというのは、『スパイ大作戦』(※1966年から1973年まで放送されたアメリカのテレビドラマ)のリブート作ということだったので、観る前は、あの冷静沈着なフェルプス君がトム・クルーズはないだろうとタカをくくっていたのですが、そういうテレビ版とはまったく無縁に作られていたのが潔かったですね、つまり、ある意味で完全にトム・クルーズの映画になっていた(笑)。彼の身体を張った肉体アクションが、やっぱりいいわけです。もともとの『スパイ大作戦』ってスパイとは関係なく、指令に従って緻密な作戦を立てて誰かを罠にはめるドラマでしたから、トム・クルーズ的な見せ場なんかまったくないわけですよね。

『ミッション:インポッシブル』(c)PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

――「スパイ大作戦」と言いつつ、割と謎のスパイ組織でしたよね(笑)。

黒沢:スパイ組織と言うよりも、詐欺師集団みたいで、それがまったく違う肉体アクション映画になった。その影響で新しい『007』も、走ったり殴ったり落ちたりして、「こんなに肉体を酷使するジェームズ・ボンドは初めて見た!」という感じがありましたよね。それまではどこか繊細なイメージだったダニエル・クレイグが案外やるんですね、ああいうこと。それが『007』だというんで、二重の驚きがありました。

――確かに両シリーズとも、いつの間にか完全に肉体を使ったアクションが「売り」の映画になっていました。

黒沢:もちろん、その一方で、知的な捜査もやりながら、何かの謎を解いたりはするのですが、それもありつつ、やはり殴ったり蹴ったり走ったりするところが映画のいちばんの見せ場になっています。つまりアクション映画の基本に戻って、昔のパロディ色はすっかり影をひそめている感じがしました、でも、毎回「敵」の作り方は、難しくなってきていますよね。「スパイ映画」に限らないのかもしれませんが、昔のようにわかりやすい「敵」――たとえば、ソ連みたいなものが、今はもう作れないので。だからなおさら、どこと戦っているのか、何と戦っているのか、よくわからなくなっているところはありますよね。

――もはや、実在の国ではなく、架空の国を設定していたり。

黒沢:それは、初期のジェームズ・ボンドの頃から、やっていたことではあるんですけどね。「ゴールドフィンガー」のように、世界征服をたくらむ、悪の大富豪をやっつけるという。まあ、それもスパイ活動のひとつなのかもしれませんが(笑)、最近は「スパイ」というよりも、むしろ「特殊部隊」みたいなことをやっていて。思えば「スパイのような活動」を実際の「スパイ行為」から切り離したところが『007』シリーズの大発明だったんですね。

――かつての冷戦時代のような、国際情勢を反映したものとは、ちょっと違うというか。

黒沢:『007』シリーズも『M:I』シリーズも、ほとんど荒唐無稽な話とはいえ、現代の世界情勢を、どこか反映させているところがあって、決して悪者にはしていないですけど、イスラム系の組織であったり、北朝鮮がどうしたとか、そういうものは取り入れていますよね。最終的な悪者は、狂った大金持ちだったりするのですが、そのまわりには現代の政治情勢とか、ジェームズ・ボンドだったら、現在のイギリスが置かれている状況など、いろいろなものを一応混ぜているようなところがあるから、ある種大人向けというか、大人が観ても「そうだよな」っていう、ある程度の納得感みたいなものはありますよね。

――難民や移民問題を、物語の中に組み込んでみたり。

黒沢:そういう意味では、脚本を作るのはえらく大変そうだなと思います。『007』シリーズや『M:I』シリーズが、いわゆる大作映画として作られていく一方で、オーソドックスな「サスペンス」としての「スパイ映画」というものも、脈々と作られていて。数年前ですけど、ロバート・ゼメキスの『マリアンヌ』(2016年)とかスピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』(2015年)などの近年の傑作もありました。

――ジョン・ル・カレ原作の『裏切りのサーカス』(2011年)も、そっちの系譜に連なる作品ですよね。

黒沢:そうですね。ただ、やはりいずれも第二次世界大戦下とか冷戦時代とかが舞台で、現代劇ではありません。現代のサスペンスとしてのスパイものは、やはり相当難しいんでしょうね。

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