個人と人生とのかかわりを観客に問い直す “一歩先”の“感動作”『アプローズ、アプローズ!』

 情熱的なベテラン俳優が、囚人たちを指導して演劇の舞台を成功させ、パリの国立劇場での上演に挑む……。このようなあらすじから、『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』は、よくあるハートウォーミングなサクセスストーリーなのだと、ある程度予想できてしまう。だが、この映画をそのような目線で鑑賞していると衝撃を受けることになるはずだ。

 本作『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』が、心を動かす“感動作”であることは間違いない。しかしそれは、心温まる感動の“一歩先”を進んだところにある“感動作”なのだ。ここではその特徴的な中身を、重要なネタバレを避けつつ明らかにしていきたい。

 本作は、スウェーデンで80年代に起きた出来事を基に、舞台を現代のフランスに移し替えて翻案された映画作品である。コメディアン出身でフランスの国民的スター、カド・メラッドが演じる主人公“エチエンヌ”は、最近では仕事を干され、ワークショップで刑務所の受刑者たちに演技を教えるのが主な活動となっている舞台俳優だ。

 演技の素人だった受刑者たちは、意外な才能を発揮して喜劇の舞台で活躍。多方面から賞賛を浴びることになる。この成功に手応えを感じたエチエンヌは、自身が90年代に役を演じた舞台『ゴドーを待ちながら』を、次の演目に選ぶことにする。

 1953年にパリで初演された、サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』といえば、人間の存在の不毛さや、世の中の無意味さを描く「不条理演劇」の代表といえる、難解な作品である。初演された当時、パリではその斬新さが評価されたものの、アメリカの観客にはほとんど理解されず、散々な結果だったのだという。

 なぜエチエンヌは、そんな前衛的な演目をあえて選んだのだろうか。じつは『ゴドーを待ちながら』は、刑務所の慰問で上演すると、人気があると言われている作品でもある。舞台に入場料を払って観にくる観客よりも、むしろ囚人の方がこの作品に惹きつけられることがあるのである。その理由は、設定とストーリーに秘密があると考えられる。

 『ゴドーを待ちながら』の主人公は、田舎道に佇む二人のホームレスだ。彼らはその場でとりとめのない会話をしながら、“ゴドー”という人物を待ち続ける。だが、ゴドーはいつまで経ってもやってこない。この登場人物たちの不毛な時間に、観客も付き合わされる。しかし、物語はとくに分かりやすい展開を見せることはなく、延々と無為な時が過ぎ去っていくだけなのだ。“ゴドー”という人物は何なのか、なぜゴドーを待っているのかという疑問も、明かされることはない。それが、『ゴドーを待ちながら』が「不条理演劇」と言われる理由である。

 だが刑務所の受刑者は、ここにこそ一種のカタルシスを感じる場合があるようなのである。囚人は、刑期を終えるまで外に出ることができず、“待つ”ことをしている存在といえる。そう考えると、無為にゴドーを待ち続けている主人公たちと囚人は、近い立場だといえるのではないか。そんな囚人たちこそ、『ゴドーを待ちながら』を真に味わうことができ、真に演じることができるのではないかというのが、エチエンヌの思惑である。

 とはいえ、この難解な題材に、本作の囚人たちは悪戦苦闘を余儀なくされる。謎めいた内容に対応した演技をせねばならず、長ゼリフを暗記しなければならない場面もある。ワークショップに参加するメンバーたちのなかには、こらえ性のない者も多く、すぐに投げ出したり、エチエンヌに怒りを示し威嚇する者も出てくる。

 このような設定の映画では、登場人物を“かわいい存在”、“親しめる存在”として描くことも少なくない。それは感動のラストへ観客を導くために登場人物への感情移入を促がそうとする、作り手側の事情に起因したものだ。しかし本作に登場し、舞台に出演するのは、罪を犯した囚人たちなのである。

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