『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』にみる、製作陣の思い入れと西部劇への敬意

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の生みの親であるロバート・ゼメキスとボブ・ゲイルは南カルフォルニア大学(USC)の映画芸術学部で出会った。周りの生徒がフランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールに触発され、ヌーヴェルバーグの話ばかりをしていたところ、この2人はそれらに一切興味を持たず、ずっとジェームズ・ボンドの映画や『ダーティハリー』などのクリント・イーストウッド作品など、大衆映画の話をしていたそうだ。そんな彼らだからこそ、ウエスタンを舞台にイーストウッドへのリファレンス尽くしの『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(以下、『BTTF3』)の制作は楽しかったに違いない。実際、脚本を務めたゲイルは本作が「これまで携わった映画の中で一番撮影が楽しかった」とメイキングビデオにて語っている。

3作目にして描けたキャラクターアーク

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(c)1990 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.

 なんとなくではあるが、第1作、そして第2作目に比べて第3作目は人気が少しだけ低いように感じる。Rotten Tomatoesの指標でも、観客スコアは一番低いのだ。しかし、批評家スコアにおいては2作目よりも高く評価されているように、本作はキャラクターの変化とフィルムメイキング的視点という2軸で、実はかなり挑戦的なことをしている。

 キャラクターといえば、お馴染みのマーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)と、ドク(クリストファー・ロイド)である。前作で2015年の老人ビフ(トーマス・F・ウィルソン)がスポーツ年鑑を持って1955年のビフに接触したせいで、1985年に戻っても家族や生活の何もかもが変わり果ててしまったマーティ。ドクも精神病院に入れられてしまっていたため、この最悪のシナリオを正すべく、2人は再び1955年に戻ってスポーツ年鑑の奪還と焼却に成功した。しかし、1985年に戻ろうとしたとき、デロリアンが落雷に打たれてしまい、1985年のドクは1885年に飛ばされてしまった。取り残された1985年のマーティは第1作目のラストで自分を1985年に戻してくれた1955年のドクに会いに行く。そして、マーティは再び、ドクの力を借りて1885年に戻り、自分と同時代のドクを助けようとするのが本作の大まかなプロットだ。くどいくらい西暦を明記したけど、そうでなければややこしくて仕方ない! シリーズを通して1955年のドクがかなり重要な役を担っていたことだけはわかりやすい。

 さて、こうしてドクを助けに行ったマーティだが、本作は結構ドクの物語に焦点が当てられて進んでいく。というより、第1作目もいわばマーティの父ジョージ・マクフライ(クリスピン・グローヴァー)の成長譚になっていて、マーティはこれまで自分がタイムトラベルをする必要のあるところに向かい、さまざまな物語を進める役として動いてきたのだ。だから、彼自身の問題が何か解決することはなかった。その問題とは、シリーズを通して彼が「チキン(腰抜け)」と呼ばれると我慢ならなくなることに象徴されてきたものである。

 しかし、本作がこれまでの作品と違ってマーティが傍観者の立場で終わらないのは、その問題と本人がついに向き合うから。そう、『BTTF3』はようやくマーティという主人公自身の成長を描いた作品でもあるのだ。

 一方で、ドクの本作での立ち位置はある意味マーティと入れ替わっている。タイムトラベルでやってはいけない、過去の人間に深く関わってはいけないことを初恋によってガン無視するなど、理性を失い、無責任な人間になっているのだ。それを今度はマーティが説得する立場になった点も、彼の成長の表れである。しかし、同時にこれまであまり描かれてこなかったドクの人間的な部分がわかるドラマがあることで、彼のキャラクターアークもマーティ同様に本作で完成されたと言えるのだ。

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