『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』にみるサム・ライミの作家性
※本稿は『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』のネタバレを含みます。
1981年、22歳の監督がデビュー作品として、「死者の書」なる禁断の書物を巡り、悪に取り憑かれた女と戦う男の物語を撮った。そして2022年、62歳になった彼、サム・ライミは約10年ぶりに「ダークホールド」なる禁断の書物を巡り、悪に取り憑かれた女と戦う男の物語を世に放つ。『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(以下、『ドクター・ストレンジMoM』)は演出にプロットなど、多くの点で『死霊のはらわた』を想起させる作品である。
ライミは作家性の高い監督で知られている。そして、予算のない中で若き彼と仲間たちが生み出した「シェイキーカム」をはじめとする撮影法は、公開初日に観に行ったクエンティン・タランティーノにとっては「今までに観たことのないもの」であり、かのギレルモ・デル・トロの言葉を借りれば「何世代も先を行くような発明」であったという。デル・トロは当時、メキシコで『死霊のはらわたII』を観て虜になり、アルフォンソ・キュアロンなど同じメキシコ出身の巨匠たちと「いいよね」と話していたそうだ。みんな、この作品が大好きなんだ。
そんなふうに、映画史に残るインパクトを残した『死霊のはらわた』シリーズ(もちろん、第3作目の『キャプテン・スーパーマーケット』を含めて)のテイストは、のちのライミ映画の持ち味にもなり、『ドクター・ストレンジMoM』もその例に漏れない。初っ端の怪物ガルガントスの目玉をストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)が街灯を使って引っこ抜く描写だけでも、本作がライミ映画であるという宣言としては十分だった。ちなみに、“目玉”はその後も水溜りに映るワンダの目、ストレンジの額に現れる“第三の目”と複数登場し、本作の一種のシンボルとなっている。
悪霊の視点、死体への執着、邪悪なものが忍び寄る合図
他にも、ライミ味を感じる細かい描写をいくつかなぞっていこう。映画では、割とすぐに今回の“悪役”スカーレット・ウィッチことワンダ(エリザベス・オルセン)とストレンジが対峙する。なお、このときワンダはすでに「ダークホールド」によって善い心を奪われている。実はこの書物、ドラマ『エージェント・オブ・シールド』にも登場しており、そのときも騒動を起こした末にゴーストライダー(ガブリエル・ルナ)があるべき場所である“地獄”に持ち帰っていた。この2作間で設定の引き継ぎがあったとは思わないが、「ダークホールド」はそのルールを破った者を悪霊が襲いにくることからも、邪悪な書物。いわば、ワンダはこの悪霊に取り憑かれ、良心を見失っていたと言ってもいいだろう。『死霊のはらわた』も、呪文によって蘇った悪霊が女の子(リンダ/ベッツィ・ベイカー)に憑依し、それを主人公・アッシュ(ブルース・キャンベル)が倒すというプロットだ。
さて、そんなワンダがアメリカ・チャベス(ソーチー・ゴメス)を狙ってサンクタムに乗り込んでくる際、最初に我々が見るのは赤い煙。『死霊のはらわたII』でも、ライミは悪霊が近づいてくる表現として、白い煙や霧を利用している。つまり、ライミ作品にとって煙や霧が立ち込めることは、悪がやってくる時の合図なのだ。この演出は、のちに「イルミナティ」のチャーズル・エグゼビア(パトリック・スチュワート)がワンダのマインドに入った時にも、同じような意図として登場している。そして、ワンダは何の躊躇もなくサンクタムのソーサラーを攻撃し、文字通り“塵”にしてしまう。このとき焼死体がクロースアップされるのも、「MCUでこんな画、流していいの!?」と心配してしまうほどのライミらしさ。その後も「イルミナティ」御一行がMCU史上最高に惨い殺され方をしていくのは、本作のハイライトとも言える。
そういう死に方のエグさは、『死霊のはらわた』シリーズの大きな魅力の一つだが、その死体をその後“動かす”のも彼の大好きな手法。クライマックスでは、ストレンジが他のユニバースで死んだもう一人の自分の死体を使って「ドリームウォーク」をする。もともと低予算で出演者も少なかった『死霊のはらわた』は、“死体”を再利用して何度も「死」を描くことで、映画を飽きさせず、そのエンタメ性を高めるという工夫をしている。その後も、ライミ作品ではしばし死後も死体となったキャラが大活躍することがあり、『ギフト』では何者かによって殺された女性(ケイティ・ホームズ)が主人公・アニー(ケイト・ブランシェット)の前にビジョンとして現れ、死の真相を伝えようとした。また、『スペル』ではあのおっかないお婆さん(ローナ・レイヴァー)が死んでも主人公のクリスティン(アリソン・ローマン)に体液をぶっかけたり、髪の毛を引っ張ったりする。
そしてサンクタムの奥に逃げ込むストレンジ一行だったが、ワンダの魔の手は忍び寄る。一室で隠れていると、その部屋のドアが大きな音を立てて、閉まっていく! 急速なカットで閉まる扉を映し、閉鎖空間に追い詰められる彼らの姿は、まさに『死霊のはらわた』で悪霊によって山小屋に閉じ込められたアッシュたちに重なる。その際にカメラのショットがぐにゃりと歪むのも、ライミの多用する手法だ。水溜りが危ないと言っているのに、それを覗き込むチャベスも、外が危ないと言っているのに窓際に行ってしまう『死霊のはらわた』的ムーブを見せてくれている。
この一連のシークエンスはホラー風味が強いが、その後ワンダが別のユニバースにいる自分に憑依するために迫るシーンもなかなか怖い。何も知らないアース838のワンダは、キッチンで奇妙なヴィジョンをいくつも目にする。そして窓に映ったスカーレット・ウィッチと目が合い、憑依されると一瞬カメラ目線でこっちを見つめてくる。それが気味の悪さを際立たせているのだが、『死霊のはらわたII』でもアッシュが悪霊の狂気に当てられて狂ったとき、カメラ目線でゲハゲハ笑っていたのを思い出した。その後、「ヴィシャンティの書」がある空間に繋がる扉に向かう際、ワンダが追ってくる中で後ろを気にしながらストレンジらが通路をどんどん進んでいくのも、『死霊のはらわたII』でアッシュが死霊に追われて部屋をぐるぐる回っていくシーンを想起させる。
そして何より、ライミ映画に欠かせないのは“悪霊の視点”だ。その後、ストレンジが「ドリームウォーク」中、「ダークホールド」から飛び出した悪霊がクリスティーン(レイチェル・マクアダムス)に襲い掛かる。このとき、我々は悪霊の主観映像を通して叫ぶクリスティーンを見ることになる。この“悪霊の目線”も、ライミ映画でお馴染みの演出だ。こんなふうに、細かい描写の数々によって本作が“実質『死霊のはらわた』”と言われているのだろう。