『ムーンナイト』に重要な影響? 孤高のカルト作『レギオン』のスピリット

 いわゆる“カルト作”と言っても過言ではない『レギオン』だが、しかし『X-MEN』のスピリットは確かに引き継がれている。特殊能力ゆえに精神疾患と診断され、長きに渡って迫害されてきたデヴィッドらミュータントの孤独と哀しみは、公民権運動の只中、差別されるマイノリティをスーパーパワーを持つ新人類として描いた『X-MEN』そのものである。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』でメンタルヘルスに問題を抱えたヴィランたちに対して「cureしよう」と謳うMCUとは、決定的にスタンスが異なるのだ。

 MCUのTVシリーズ第1弾となった『ワンダヴィジョン』にも『レギオン』の影響が感じられた。ヴィジョン(ポール・ベタニー)の死によって“現実改変能力”を解放させたワンダ(エリザベス・オルセン)は、町1つを自身が愛した往年のTVドラマの世界に作り変え、自閉してしまう。現実と妄想シットコムを往復するストーリーテリングは、物語の大半が脳内世界で展開する『レギオン』に近く、ワンダは最新作『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』でさらに精神のバランスを崩し、最強の魔女スカーレット・ウィッチとしてドクター・ストレンジの前に立ちはだかる。その姿には世間から疎んじられ、やがて内なる別人格“レギオン”を暴走させていくデヴィッドを思わせるものがあった。MCUはヒーロー固有の能力を天から与えられた才能(ギフト)として肯定的に描き、彼らの共存とヒロイズムをもって社会をエンパワメントしてきたが、しかし古今東西、異能ゆえの苦悩も描いてきたのがこのジャンルである。『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』にはこれまでのMCUにない“暗さ”があり、『ワンダヴィジョン』の真の結末でもあった。

 『ムーンナイト』ははじめこそミステリアスでバイオレンスな空気が視聴者を惹きつけるが、『インディ・ジョーンズ』よろしくなアドベンチャーへ転調する第3話以後、まったく気のない作りで最後はなんと巨大怪獣バトルである。せっかくの魅力的な題材が、ディズニープラスというフォーマットによってスポイルされているように見えたのは穿ち過ぎだろうか(そもそも古代の神々たちがどうして巨大化してドつき合うのか。カラオケ対決でもすればいいのだ)。

 ディズニーの20世紀フォックス買収によって、X-MENら人気キャラクターの版権がマーベル・スタジオへと移譲し、今後続々とMCUに合流することが期待されている。しかし、この市場寡占によってMCU、ディズニーの型からはみ出るような、野心的なアメコミ映像化作品は生まれ得ないのではと思えてしまう。20世紀フォックスは後年、あえてR指定の表現にすることで『デッドプール』『LOGAN/ローガン』といったそれまでのアメコミ映画にはない傑作を生み出すことに成功していた。ユニバースという企画力を維持できなかったDCは、代わって監督の作家性を重視することで『ジョーカー』や『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』を世に送り出した。『レギオン』のヌルいフォロアーである『ムーンナイト』に、MCUテレビシリーズの限界を感じてしまったのである。

 この機会に多くのMCU作品に影響を与えた孤高のカルト作『レギオン』をぜひ観てほしい。ちょっととっつきにくいかもしれないが、ハマると中毒性は高いです。

■配信情報
『ムーンナイト』
ディズニープラスにて、独占配信中
(c)2022 Disney and its related entities

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