『私ときどきレッサーパンダ』が問いかける自分らしさ 思春期の変化には誰もが共感

『私ときどきレッサーパンダ』が問う生き方

 「変化」に対しての向き合い方は、メイとミン、メイの父・ジンでそれぞれ違った。作品を通して、メイは自分の変化を受け入れた。最初は戸惑い、「嫌だ」と感じていたレッサーパンダの姿だが、友人たちと過ごすうちに好きになり、自分の一部だと認めるようになる。また、親の言いなりになるのではなく、自分の意志で選択して生きていこうと決断した。その一方で、ミンはメイの変化を拒む。レッサーパンダは「危険」とみなし、メイにレッサーパンダの姿になることを禁じた。メイが異性に興味を持っていると知ると、相手のデヴォンを責め、レッサーパンダの姿でお金を稼いでいたと知ると、「娘を利用した」とミリアムたちを責めた。自分の娘の心境が変化していることを一切認めようとしなかったのだ。

 メイが自分の意志でミンを裏切ると、ペンダントに封じていた巨大なレッサーパンダが出現し、力ずくでメイを抑えようとした。子どもの変化はよくないことで、止めるのが親の務めであると信じているようだった。

 しかし、ジンの考えはミンとは異なっていた。自分の変化を「悪」と判断し、悩んでいたメイにかけた言葉が印象に残っている。

「人にはいろんな側面があって、とても複雑な面も抱えてる。大事なのは悪い面も追い払わず、受け入れて共に生きること」

 誰もが、心の中に「モンスター」のような悪い面を抱えている。だが、そのモンスターは個性であり、否定するべきではない。個性を受け入れて共に生きていくことが、「自分らしく」生きるうえで大切なのだ。本作品を通して、制作陣はこうしたメッセージを伝えたかったのではないかと思う。

 先ほど、“誰もが、心の中に「モンスター」のような悪い面を抱えている”と述べたが、その「誰も」には当然親も含まれる。娘が自分の変化だけでなく母の悪い部分や弱さを認め、受け入れる姿を描いているのも、本作品の特徴のひとつだろう。

 メイは、巨大化したミンのレッサーパンダを落ち着かせたあと、竹に囲まれた「人間とレッサーパンダのあいだにある空間」で、幼少期のミンと出会う。幼いミンは、「完璧ではない」自分を責め、母を傷つけたと泣いていた。

 メイは、ミンも自分と同じく母に認めてもらいたかった「完璧ではない」娘だったと知る。「行こう」と泣いているミンに手を差し伸べ、2人は竹藪の中を歩き始めた。

 メイに手を引かれて歩いているミンは、進んでいくうちにどんどん成長し、やがて母の姿になる。だが、大きくなっても依然としてどこか不安そうな表情であることから、歳を重ねても、「弱さ」は心から消えないことが伝わってくる。メイは母の弱さを認め、受け入れたのだった。

 誰もが心に「悪い面」や「弱さ」、そして「変わる可能性」を持っているが、それを「見せてはいけない」と隠し、みんなから好かれようとする。

 筆者も、自分の嫌な面や弱さを人に気づかれないよう無理して背伸びをしたり、気丈に振る舞ったりしてきた。社会に出て、人と上手に付き合っていくには、多少無理するのが当たり前だと思っていた。

 『私ときどきレッサーパンダ』では、そうした姿勢に疑問を投げかけている。メイは、「変化」や「野獣」のメタファーであるレッサーパンダを、無理に消そうとせず、受け入れて共存していくことを選んだ。

 観賞後は「無理に周りと合わせようとせず、自分らしく生きていい」と肯定された気がして肩の荷が降りた。

 本作品は「あなたはどう?」で締めくくられる。作品を鑑賞したあと、1人でも多くの人が「生きにくさ」から解放され、自分らしい生き方を見つけられることを心から願う。

■配信情報
『私ときどきレッサーパンダ』
ディズニープラスにて独占配信中
監督:ドミー・シー
製作:リンジー・コリンズ
日本版声優:佐竹桃華、木村佳乃ほか
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)2022 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

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