映画作家・矢野瑛彦による“生”をみつめた物語 『yes,yes,yes』『pinto』公開に寄せて

「人はなぜ生きねばならないのか?」
「自分は生きている価値があるのだろうか?」
「生きている実感がない」「生きている実感がほしい」
「生きることは素晴らしい」など。

 いずれもよく耳にする言葉だ。

 映画やドラマによく出てくるようなセリフでもあるし、広告やCMなどのキャッチコピーにもよく使われているようなフレーズでもある。日々を過ごす中で、誰かが語っているのを何気なく耳にしていることもあれば、自分の心の中でふとつぶやいていることもあるかもしれない。

 ただ、たとえ思わず心の中で「なぜ生きないといけないのか?」とつぶやいたとしても、「生きる意味」について深く考え込むようなことはほとんどないのではないだろうか?

 確かに考えたところで、そう簡単に答えがでるかといったら、でるものではない。

 「生きるとはどういうことなのか?」「人が生きる意味とは?」「生きることに意味はあるのか?」という誰もが一度ぐらいは自らに問いかけながらも、おそらく永遠に答えが出ないこの問いに向き合い続けているのが、宮崎出身の新進映画作家、矢野瑛彦といっていいかもしれない。

 「生きること」という永遠に答えがみつからないかもしれないテーマに彼は愚直に果敢に挑み、映画を通して、ひとつの答えをつかみとろうとしている。

 たとえば、昨年、大阪アジアン映画祭で上映され、大きな反響を呼んだ現在の最新作『yes.yes,yes』は、余命わずかとなった母を前にしたまだ10代の雄晃が「人は死んですべてなくなるのなら、なんのために生きるのか?」「生きる意味なんてあるのか?」と、どこにいるのかわからない神にかみつくところからスタート。

 「生きる意味とは?」というテーマと矢野監督はまっこうから向き合う。

 父親と姉が平静を保ち明るく振る舞おうとする一方で、雄晃は感情をほぼコントロールできない。家族写真の入ったフォトスタンドを壊し、庭に咲いた花々を踏みにじり、怒りを爆発させる。しかし、怒りにかられたところで「生きる意味」の答えを見い出すことなどできるはずもない。ますます頭の中が混乱した彼は、世の中のすべてが敵に思えてくる。

 作品は、完全に生きる意味を見失った雄晃の感情を活写。暴走する彼の心を現実へと引き戻す、まさに「生」を実感する瞬間を映し出して終わる。

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