日本のドラマ・映画はどこに進むのか 成馬零一×西森路代が語り合う、コロナ禍で起きた変化

『大豆田とわ子と三人の元夫』と『ドライブ・マイ・カー』

ーー昨年は坂元裕二さん脚本の『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系/以下『まめ夫』)も大きな話題となりました。

成馬:作品のレイヤーがすごく複雑になっていると思うんですよね。どの作品も、表面的な面白さと、その背後にある作り手が伝えたい本当のテーマ、さらにその向こう側にその時代の気分とでも言うような「無意識の領域」があると思うのですが、見応えがある作品ほど、この無意識の領域がにじみ出ている。『まめ夫』はそれが顕著な作品で、とわ子(松たか子)の親友・かごめ(市川実日子)の死など、本当に怖いことは画面の外で起こっている。でも、死が確実に存在するという多重構造になっていて。これまでの坂元裕二作品では、物語の中で描いていたものは全部外側にあって、視聴者の想像に委ねる形で描かれている。『まめ夫』のプロデューサーの佐野亜裕美さんにインタビューをしたとき、かごめの死は新型コロナウイルスで人知れず亡くなってしまった人を意識したと語っていました。宮藤官九郎さんの脚本作『俺の家の話』(TBS系)の主人公・寿一(長瀬智也)にも突然の死が訪れましたが、おそらく同じ意図があるのだと思います。少し話がズレてしまいますが、お笑い芸人の空気階段のコントにも時代の気分を感じて、めちゃくちゃ怖いんですよね。2人がコントで演じる“無敵の人”が妙に説得力があって、犯罪を犯さない“ジョーカー”を見ているような気持ちになるというか。もちろん笑えるし、画面上は穏やかなんですが、その裏側にあるものがにじみ出ているように感じるんですよね……。

西森:「キングオブコント2021」の空気階段のネタはかなりそうでしたね。お笑いもテレビドラマも、人間の裏側にあるものを意図的に描いているものと、描こうとしているけどなんか失敗しているもの、そもそもそんな裏側なんて描きたくなくてストレートに優しい世界を描きたいというもの、優しい世界だけを描いているのに、なぜか優しくない部分がはみ出てしまっているもの、優しい世界なんて現実にはないんだからと、ことさらに露悪的になっているもの、そういうものからまったく離れたものを生み出そうとしているもの……いろいろある気がしますね。そんな中でやっぱり奥行きが全然違うなと感じたのが、渡辺あやさん脚本の『今ここにある危機とぼくの好感度について』(NHK総合/以下『ここ僕』)。劇場版も公開された渡辺さんの脚本作『ワンダーウォール』と繋がっていますよね。“壁”の向こう側にあるおかしいこととどう対峙していくかというテーマは共通しているように感じました。政治や経済によって、さまざまな分断が起きている中で、おかしいことがわかっているのに、何も変えることができないもどかしさ。その現実とその先にあるかすかな救いが描かれていました。

ーーほかに去年で印象に残っている作品はなにかありますか?

成馬:第94回米アカデミー賞作品賞にもノミネートされた濱口竜介監督作『ドライブ・マイ・カー』です。受賞結果次第では、去年より今年の方がより多くの方が観ることになりそうですね。『ドライブ・マイ・カー』にも感じたのですが、従来の作品の価値観を新たな作り手が批評的にアップデートするというのが2021年は多かったように感じます。『ドライブ・マイ・カー』は村上春樹の要素をパズル的に再構築した濱口監督による村上春樹論のような感じがして。ほかにも、野島伸司さんが脚本を手掛けたアニメ『ワンダーエッグ・プライオリティ』は、野島伸司的90年代ドラマの要素が随所に散りばめながらも、若いスタッフたちが映像化することによって野島伸司的ではない新しいものになっていました。『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』も、富野由悠季さんの原作を、今の作り手たちが最新の技術で生まれ変わらせた。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』も庵野秀明監督の過去作への自分自身への批評的な作品だったように思います。現在の価値観で観ると性差別的な部分や暴力的な部分が多い90年代の作品を、新たな形でアップデートする傾向があるのではないでしょうか。

西森:『花より男子』をタイでリメイクした『F4 Thailand: Boys Over Flowers』がまさにそうでした。『花より男子』って今の価値観で観ると、道明寺の行動は暴力的だし、F4のあり方も格差社会の反映じゃないですか。

成馬:当時、それが受け入れられていたのも今となっては不思議ですよね。

西森:タイの『F4』は今観ておかしいなと思うところが見事に現代の価値観にアップデートされているんです。

成馬:具体的には何が変わったのですか?

西森:道明寺(『F4』ではターム)の暴力性は描かれたとしても、それはおかしいことだというところまでが描かれていますね。それと、つくし(ゴヤー)を巡って道明寺と花沢類(レン)がいがみあったりもしない。道明寺自身が、自分はつくしに会うまではどうかしていて、彼女に出会ったことで自分は変われたという振り返りからドラマも始まりますし。

成馬:今までだったら、絶対に女性を巻き込んでいましたよね。ある種のイケメンドラマの元祖みたいな話ですが、道明寺は“有害な男らしさ”の塊みたいな存在でした。

西森:有害な男らしさの塊のようなキャラクターだからこそ、今の時代にアップデートできているのを見て、こういうやり方があったのかと思いました。格差や社会問題の物語への盛り込み方も非常に巧みで。タイでは、映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』が大ヒットしましたが、ここでもリアルな格差社会を丁寧に描いていました。

成馬:一方で、過去作の作り直しばかりが増えてしまうのではないかという懸念もありますよね。『ドライブ・マイ・カー』は優れた作品だと思いますが、僕は村上春樹の重力から逃れきれていないような感覚もあって。

西森:『ドライブ・マイ・カー』は、村上春樹を現代にどう描くかという点でハードルが高くなりますし、ひとつの「枷」みたいなものが最初からあるじゃないですか。もちろん「枷」は原作を映像化する時点であるものだけれど、それが村上春樹ということでより大きい。それを批評的な視点から再構築するという意味で、けっこうな挑戦だったんじゃないかと思うんですね。それに、『文學界』の対談のときには、『偶然と想像』に取り掛かろうという時期に『ドライブ・マイ・カー』の撮影が控えていたそうで、性愛の描写を自分が取り扱うとしたらどうなるのかをやっていたのが、『偶然と想像』の第2話だったと聞きました。だから、村上春樹の重力というのは確かに感じられるけれど、いい面もあったのかなと思ったりしていて。それと、アカデミーでの評価は、やっぱり毎年、テーマが重要になっていると思うので、村上春樹という存在がいるということも含めて、男性のナイーブさ……これは良くも悪くもですが、そういうものを描くことに実は日本というのが長けているということも関係しているのかなと思いました。

成馬:男らしさの反省みたいなものは世界の潮流としてありますよね。

西森:その点は、日本は「男らしさ」からの脱却みたいなものを無意識で描いてきたと思うんですよ。例えば韓国でもそういうテーマの作品はあるけれど、簡単に「男らしさを降りる」とは言えないものがあるのではないかと。『D.P.-脱走兵追跡官-』(Netflix)を観ても、流れるテーマとしては同じなのかもしれないけれど、その描き方がまた違いますよね。韓国でダメな自分でもいいじゃん、みたいなことはエッセイ『あやうく一生懸命生きてみた』(著:ハ・ワン)でも描かれるようになったけれど、それってすごく斬新だったと思うんです。これまで、パリっとした役を演じていたイ・ジョンジェが『イカゲーム』(Netflix)でジャージ姿のうだつのあがらない、大泉洋さんがやっていたような男性キャラを演じていたのもびっくりしましたし。

成馬:その文脈でいうと『夢中さ、きみに。』(MBS)はやっぱりすごいドラマだったと思います。二人の男子高校生を主人公にした学園青春ドラマだったのですが、主人公の二階堂(高橋文哉)は、中学時代にモテすぎたことがトラウマになっていて、わざとダサい格好をして過ごしているんですよね。そんな彼とふつうに接してくれる男友達が登場することで、彼はゆるく救われていくという不思議な話でして。

西森:男の子が男の子を救ったり、前に向くきっかけを与えるもののほうが観ていてほっとするところはありますよね。『チェリまほ』もそうでしたし。それって、今まではあまりにも女性が男性のケア役割になるものが多かったからだと思うんですよ。

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