『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』にみえた“エウレカセブンらしさ”の正体

 『EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』が激しい賛否を巻き起こしている。大手レビューサイトでは平均評価が低くなっている一方で、中には絶賛する意見も飛び交うなど、他の映画とはまた違う熱狂に包まれている印象だ。物語を愛する人々にとっては、シリーズもの作品の根源に迫るような表現に様々な思いがよぎる作品となっているだろう。本作の挑戦的な姿勢と、『エウレカ』シリーズの根本的な問いについて考えていきたい。

 『交響詩篇エウレカセブン』シリーズは2005年の放送時から大きな話題を呼んだ作品だった。スカブ・コーラルと呼ばれる謎の多い物質に覆われた惑星を舞台に、14歳の少年レントンと、物静かな少女エウレカとの交流を描くSFロボットガールミーツボーイ作品。『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』シリーズは、テレビアニメ版を基に再構成した新たな『エウレカセブン』の劇場3部作として2017年より順次公開された。

 この時代のロボットアニメにはよくあることだったが、2005年の放送開始当時は、『新世紀エヴァンゲリオン』の影響を多く指摘されていた。例えば、ヒロインであるエウレカの性格やキャラクター性が綾波レイに似ているところ、キリスト教をモチーフにした『エヴァンゲリオン』に対して、仏教をモチーフにした点などが挙げられる。

 そのほかにも『機動戦士ガンダム』の影響も見受けられた。月光号のメンバーたちとの生活は『ガンダム』におけるホワイトベースの生活を基にしているという指摘があり、モーリス、メーテル、リンクの3人の子供たちはカツ、レツ、キッカの3人と合致する。また2クール目に描かれた主人公レントンとチャールズ、レイのビームス夫妻との交流は、そのままアムロ・レイとランバ・ラルとの関係性が頭によぎるだろう。

 このように『交響詩篇エウレカセブン』という物語は、先行する様々なアニメ作品からの影響を受けて制作されている。もちろん、それはパクリなどという話ではない。

 映画監督・押井守は『勝つために戦え! 監督篇』(徳間書店刊)において「今でも映画っていうのは引用でしか成立しない」と述べているが、これは現代のアニメも同じではないだろうか。過去に存在する小説や戯曲のストーリーや、聖書、絵画の構図などを引用し、時には映画やアニメの映像も引用する。それらの引用は意識的、あるいは無意識的に行われていき、新しい物語は構築されていく。

 庵野秀明を例に出せばよりわかりやすいだろう。庵野作品には『ウルトラマン』などの特撮作品や多くのアニメ、映画作品の引用があると指摘されている。一方で引用にとどまらないものが何かあれば、それこそが作品や作家の個性となり、オリジナルなものとなっていく。

 『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』シリーズは、その意味でも挑戦的な作品となった。特に2作目の『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』では、その試みがわかりやすい。終盤でヒロインであるエウレカと、テレビシリーズではそのライバルであったアネモネが砂浜で会話をするシーンでは「夢」という言葉が多用される。

 過去のテレビシリーズや漫画版の描写を引用しながら、それらがエウレカが見る夢の一部であると提示する。つまり、過去の『エウレカセブン』シリーズの物語を肯定し、並行世界のように存在することを示唆しながらも『ハイエボリューション』シリーズにおいては内包していくという宣言と受け止めていい。ある種メタ的な描き方であるが、この“引用”こそが今作の目的だと言えるだろう。

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