『ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン』のエモさの裏にある、エモくなさ

コルトレーンの人生を追う傑作ドキュメント

 映画『ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン』はタイトルの通り、ジョン・コルトレーンの生涯を追っていく内容だ。彼の歩みをブレイクスルー以前から、多くの写真やインタビューをもとに分かりやすく確認できる点で画期的である。有名なアルバム『バード・アンド・ディズ』のジャケットのトリミング前写真や、チャーリー・パーカーのライブ写真の観客席に若かりし日のコルトレーンが写っていることを初めて知る人もいるだろう。さらに彼が軍人時代に真珠湾に駐屯していたこと、コルトレーン研究家の藤岡靖洋氏による証言など、日本との関わりも見逃せない。

 そして作品全体を通じて強調されるのは、彼のスピリチュアリティである。編集の都合もあるかもしれないが、錚々たるジャズ・ジャイアンツたちやミュージシャン、そしてビル・クリントン元大統領による「天国の調べの様だ」とか「慟哭の音」、「心も魂も誰もが望む高みに達している」、「これまでの音楽は何だった?」といった少々エモい発言が目立った。またサンタクロース風の服装で「音楽は言葉で説明できない。分析するよりも聴くことだ」というソニー・ロリンズ御大の言葉も響く。

映画『ジョン・コルトレーン:チェイシング・トレーン』予告編:12/3(金)公開

  確かにそれは真理だ。心を震わせる創作はいつも問答無用で我々に突き刺さる。しかし、ロリンズ氏の発言は原理原則をわきまえ、鍛錬を重ねた音楽家だからこそ説得力があるのではないだろうか。音楽を言葉で説明する努力なしに我々ができるのは、せいぜいSNSでエモい感想を叫ぶことくらいだ。「フリージャズ」と称され誤解の多い晩年のコルトレーンだが、彼も感情に任せて無計画にサキソフォンをブロウしていたわけではない。それに平易な学理やジャズ史的な側面からの深堀りで『チェイシング・トレーン』はより楽しむことができるはずだ。以下は、それを踏まえて書いていきたい。

“スピリチュアル”な存在であったコルトレーン

(c)Don-Schlitte

 作中で触れられる様にコルトレーンは、先人であるジョニー・ホッジスやチャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィスらの影響と信じられない努力によって、プレモダンからモダン、そして当時における先端のジャズと自己更新していった。現在はメンターと仰がれる自身も晩年に至るまで師を必要としたのは意外な事実である。劇中には登場しないが、晩年もジャズの異端児であるオーネット・コールマンにレッスン費を払ってまで教えを受けた。

 コルトレーンの奏法は現在のサックスプレイヤーによって参照される主なスタイルのひとつである。例えば、単旋律で細かい和声を表現する技法「シーツ・オブ・サウンド」や高音でのブロウ、「マイ・フェイバリット・シングス」で聴かれるソプラノ・サックスをオリエンタルに響かせる奏法などは時代を超えてコピーされ続けてきた。

 そして『至上の愛』に代表される、60年代の彼のバンドによる演奏スタイルから派生した音楽は現在「スピリチュアル・ジャズ」と呼ばれている。乱暴なまでに簡潔に書くと、その主なフォーマットは展開の少ない「モード」という構造の楽曲上で、吠える攻撃的なサキソフォン、叩き付ける様なピアノ、同じフレーズをグルーヴさせ続けるベース、連打とポリリズムで全体を鼓舞するドラムとによって構成されるものである。

 本形式は彼の死後、同じバンドで演奏していたテナー・サックスのファラオ・サンダースらに引継がれ発展し、90年代におけるUKクラブシーンで再発見された。それを輸入したのが日本のクラブジャズであり、現代に復権させたのが劇中でインタビューに答えるカマシ・ワシントンであり、その文脈は今に至るまで継承されている。

 「スピリチュアル・ジャズ」とは、柳樂光隆氏によると「ジャズ評論用語ではなく、クラブシーンの用語で、かつUKや日本などで定着した言葉」だという(引用:スピリチュアルジャズって何? - カマシ・ワシントン以降、多用されるキーワード”Spiritual Jazz”のこと)。なぜ未来のクラブカルチャーが、この様な命名したのかは定かではない。しかし、コルトレーンの咆哮や一糸乱れぬバンドのアンサンブル、キャッチーなメロディの応酬に思わず霊性を感じるのは確かだ。

 リアルタイムの米社会では、その様に呼称はされなかったが、コルトレーンが当時からスピリチュアルな存在であったことは本作で描かれている通りである。マイルスは『至上の愛』について「ヒッピーたちなど、平和を求める人々の心を捉え、影響を与えた」と自叙伝で評している。

 ジョン・レノンやオノ・ヨーコが訴えるよりも早く「Love」と「Peace」をオリジナル曲のタイトルに冠したジャズメンは彼くらいではないだろうか。日本でも長らく神格化され、劇中にも登場する来日会見での「私は聖者になりたい」という発言(現在では冗談であったとされている)は、長年に渡り彼を象徴するイメージとして付きまとった。

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