Netflix『THE GUILTY/ギルティ』は2020/21年という時代を不気味に象徴している

荻野洋一の『THE GUILTY』評

 この作品の最も重要な点は、誘拐事件のリモート化である。なんと、事件そのものはワンカットさえも登場しない。誘拐された女性も、自宅に取り残された子どもたちも、誘拐犯も、みんな電話の声でしかない。ハイウェイパトロールの司令部員も、事件解決に手を貸してくれる元相棒の刑事リックもみな電話の声だけ。主人公ジョーはあらゆる問題によって追いつめられ、孤立しているが、きょうこの日の誘拐事件にあってさえ、リモート化されたアイソレーション(隔離性)によって幾重にも孤立している。このアイソレーションは何と繋がっているか? そう、もちろんのことコロナ禍の状況と繋がっている。

 新型コロナ時代の象徴的な映像とは何だろうか。マスクを着けて歩く人々? 人影の乏しい夜の街? いや最も象徴的なのは、バストサイズのワンショットではないだろうか。ZoomやTeamsを利用したリモート会議やトークイベントではたいがい、なんの変哲もないバストサイズのショットが選択される。こういう場において意外性に富んだフレーミングやカメラポジションを選択することは大人げない行為とされる。人と人が直接的に相対することのできない世界情勢にあって、ZoomやTeamsでのコミュニケーションは緊急時の代替行為であって、「遊んでいる場合ではない」のだから。日本人同士だけできまじめなバストショットが流行しているわけではなく、世界各国で似たようなバストサイズのワンショットが飛び交っているのである。

 この作品のロサンジェルスはどうやら、コロナ禍のない世界という設定のようだ。しかし911緊急ダイヤルという設定が演劇的にアイソレーションを演出する。妻との確執、LAタイムズ記者の執拗な取材、あしたの公聴会への心配、そして誘拐事件──これらの諸問題に囲いこまれ、孤立化したジョーは、コロナ禍で自粛を余儀なくされ、孤立無援化を深めるわたしたち民衆の戯画となる。そして興味深いことに、この作品の製作プロセスそのものがアイソレーションと化していたという事実がある。撮影は2020年11月にロス市内のスタジオで11日間にわたっておこなわれた。ところが撮影開始3日前という最悪のタイミングで、アントン・フークワ監督が新型コロナ陽性者の濃厚接触者となってしまった。フークワ監督自身は陰性判定だったため、予定どおりのスケジュールで撮影が始まった。フークワ監督は結局、全シーンの撮影を、モニターを搭載し、外界との接触を遮断されたバンの荷台で過ごし、スタッフ&キャストとのやりとりはもっぱらインカムをつうじておこなわれた。

 ようするに、ハリウッドにおける撮影という大がかりな事業があり、この大きな塊の両端に、ジョーを演じる俳優ジェイク・ギレンホールの孤立した存在があり、隔離されたバンの荷台の中でうずくまり、モニターを凝視しながら指示を出すアントン・フークワ監督の孤立した姿があったのだ。まるで入れ子のごとく問題が重層化するシナリオと共に、コロナ禍の真っ最中に作られた本作が、アイソレーションの重層化を体現し、象徴作用としてはたらいている。意図的な側面も、意図していなかった側面もすべてふくめて、この『THE GUILTY/ギルティ』という作品は2020/21年という時代を不気味に象徴してしまったのである。

■配信情報
Netflix映画『THE GUILTY/ギルティ』
Neflixにて独占配信中
監督:アントワーン・フークア
脚本:ニック・ピゾラット
出演:ジェイク・ギレンホール、イーサン・ホーク、ライリー・キーオ、ポール・ダノ
GLEN WILSON/NETFLIX (c)2021

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