良薬は口に苦し 小野花梨×見上愛『プリテンダーズ』が容赦なく描く現代社会のリアル

『プリテンダーズ』が映す現代社会のリアル

 「連帯」の必要性があちこちで叫ばれている。「差別に抵抗するために連帯せよ」「権利を獲得するために連帯せよ」「不正を告発するために連帯せよ」ーー「前へならえ」とさんざん「連帯」というものを植えつけられてきた私たちだけれど、肝心なときにそれができない。連帯する際の目的を誤ってばかりだ。しかし、しょうがないことなのかもしれない。学生時代は何かにつけ「連帯責任」を押しつけられてきたのに、社会に出れば「自己責任」と切り捨てられる。「周りと同じように」と言われ続けてきたのに、いまは「個性が大事」と言われる。この矛盾だらけの“日本”というちっぽけな世界で、私たちは生きている。

 そんな世界に“物申す”一本の映画が誕生した。その名も、『プリテンダーズ』である。

 本作は、『パーク アンド ラブホテル』(2008年)などの熊坂出監督による最新作。二人の少女が“アイデア”と“SNS”を武器に、世界(=世の中)を変えようと突き進んでいくさまを描いた作品だ。まだ10代の主人公・花田花梨(小野花梨)は、口ばかりが達者で、経験がともなっていない引きこもり。反抗せずにはいられない父(古舘寛治)にも社会に対しても、斜に構えた姿勢でリベラルを気取っているが、彼女の知識はネットで得たものばかりだ。まだまだ幼い。ある日、そんな花梨を見かねた友人にして唯一の理解者である風子(見上愛)によって外へと連れ出されることに。そこで花梨は、ある天啓を得る。電車内で体調の悪そうな男に席を譲ったところ感謝され、そのことに対して彼女は感動。「良いことをした」という自覚は、自己肯定感の獲得につながるーーその機会を自ら生み出せば、人々を幸福にできるのではないか。いや、世界を変えられるのではないか。という気づきだ。

 花梨は助けを必要とする者を自ら演じ(あるいは彼女の企図に賛同する者に演じてもらい)、誰かの助けを得て、その手を差し伸べてきた者に自己肯定感を与えようと試みる。たとえば、重い荷物を手にした花梨が公道にある階段を苦しそうに登っている際に、親切な誰かに助けてもらう。または、渋谷のスクランブル交差点の人の往来のなかを白杖をついて歩き、若者たちに「危ないから」と補助してもらうーー。こうして自然なかたちで人々の善行を促し、当事者たちに「良いことをした」と自覚させるようとするのだ。このときに救いの手を差し出す者たちは、きまって“嬉しそうな顔”をしているというのである。

 これには筆者も身に覚えがある。電車で席を譲った際に感謝されるとこちらも気持ちが良いものだし、ベビーカーを抱えて駅の階段を上がる女性を手伝った際には深謝され、その日は一日中、気分が良かった。どちらも当然のことをしたまでだが、後者に関しては“ベビーカーを抱えるのを手伝う”という珍しい機会だったこともあってか、その場所がどこだったのかまでもしっかりと覚えているくらいだ。

 こうして花梨と風子は、リアル(現実)にフィクション(ウソ)を持ち込む自分たちのことを、“偽る者たち”、“ふりをする者たち”ということで“プリテンダーズ(「pretend」する人の複数形)”とする。彼女たちの発想はユニークだ。誰かを傷つけることがない範囲であれば、さして悪行だとはいえないだろう。しかし、世界を変えるためには多くの者の心を一気に大きく動かさなければならない。やがてプリテンダーズの活動はエスカレート。その先に何が待っているかは想像がつくのではないだろうか。そう、「炎上」である。

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