『おかえりモネ』は近年の朝ドラでは異色作? 主人公・百音のキャラクター造形を考える

 実在の人物をモデルにすることが多い近年のNHK「連続テレビ小説」では、否応なしに“過去”の物語から現代につながる何かを模索せざるを得ない、一方向のベクトルが存在している。逆にモデルとなる人物を持たない作品では“現代”を描ける一方で、『あまちゃん』以降に明確に“現代劇”に徹した作品はほとんどなく、たとえば『まれ』や『半分、青い。』こそ終盤で物語が現代に追いついたとはいえ、それはやはり主人公の少女期からの年代記という「朝ドラ」の基本的スタイルに忠実に則った上での結果論に過ぎないわけで。

 それを踏まえると現在放送中の『おかえりモネ』は近年の朝ドラの持つ流れからは少し異なるスタイルを持っていると思える作品だ。主人公が高校を卒業した2014年から数年間の物語という、いわばいくつもの人生の選択が待ち受ける「青年期」だけにフォーカスし、2011年の東日本大震災という大きなターニングポイントとなる過去への回想や未来への可能性など、物語のベクトルを“現代”から多方向へと向けていく。もっぱらそれは、ひとりの人物の年代記としてではなく、主人公が出会う多くの人々の生き方という個のドラマの集合体であり、それを永浦百音(清原果耶)という主人公を通して吸収して還元していくような手触りでもある。

 もっとも、ストーリーテリングの上で、10年という節目を迎えてもなお癒えない傷を残す東日本大震災というテーマが、いまなお“現代”を物語るための唯一の手段であるということを改めて実感せずにはいられない。同時に、あらゆる気象災害が立て続けに起こるという物語の中で繰り広げられる現実が、テレビのこちら側で起こる現実と色濃くリンクしていく。それこそ“現代劇”の最もあるべき姿であることはいうまでもなく、いまこの物語を描くことの意味を、毎話毎話を重ねるたびに痛感させられてばかりである。

 これまでの流れを振り返ってみると、第1週から第9週の「登米・気仙沼編」は、森林組合で働く主人公の百音が経験するいくつもの“出会い”を描きながら、彼女の中にある震災の傷にどう向き合っていくべきかという方向性が示された期間であった。震災の時に自分が生まれ育った島にいなかったことに引っ掛かりを覚え、島を離れて山にやってきた百音は、サヤカ(夏木マリ)ら登米の人々や、気象予報士の朝岡(西島秀俊)との出会いによって、すべてが繋がっていることを知るのである。そして変わりやすい山の天気を目の当たりにし、気象が人の命と密接に関わり、予測することが誰かを守ることになるのだと知り、気象予報士を目指す。

 菅波(坂口健太郎)の助けを借りて無事に気象予報士に合格した百音は、東京へと旅立つ(その登米編の最終話に当たる第45話は非常にグッとくるエピソードであった)。第10週から始まった「東京編」では、朝岡のいるウェザーエキスパーツのアルバイト面接の下見に訪れた百音が、いきなり報道気象の現場に駆り出されるところから始まった。テレビ局とウェザーエキスパーツの社内、百音が暮らす「汐見湯」とそこに併設されたコインランドリー。この4つの場所を主な舞台とし、一気に登場人物も増えたことで物語の面白みは急加速するのだ。

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