Fukase、『キャラクター』両角はなぜ適任? セカオワ楽曲から見えるイノセントな狂気

 6月11日より公開されている映画『キャラクター』に出演中の、Fukase(SEKAI NO OWARI)の演技が話題となっている。

 今作はお人好しな性格ゆえに魅力的な悪人を描くことができず思い悩む漫画家・山城(菅田将暉)が、たまたまスケッチに出かけた先の民家で一家惨殺事件に遭遇。そこに居合わせたFukase演じる殺人鬼・両角と出会うことにより、ふたりの運命が交差し、狂ってゆく物語だ。Fukaseは今作が演技初挑戦となるが、その鬼気迫る演技や両角という人物の危うい存在感への反響は、公開から1カ月以上が経つ今でも絶えない。

 今作はキャストの発表時点ですでにかなり注目を集めていたが、その理由は「SEKAI NO OWARIのFukaseが俳優デビュー」というトピックの求心力だけではないだろう。SEKAI NO OWARIのファンのみならず多くの音楽リスナーや映画ファンを惹きつけたのは、「凶悪な殺人鬼」というもともとの彼のパブリックイメージからかけ離れた役柄だ。

 公開発表時のコメントで、原案・脚本を担当した長崎尚志は、Fukaseへのイメージを「天使のような声を持つ少年」と表現した。確かに、柔らかく繊細で囁くようなウィスパーボイスにどこかお伽話のような浮世離れした楽曲の世界観、そして儚げな佇まいと、SEKAI NO OWARI のボーカルとして活動するFukaseのイメージは少年のようにイノセントで、清廉な雰囲気すらある。

 しかし、彼のバンドボーカルとしてのイノセンスは清廉でピュアに見える一面のみではない。彼らの代表曲のひとつである「スターライトパレード」や「スノーマジックファンタジー」などでは煌めくような言葉の数々で幻想的な恋の物語の世界を描き出し、最新曲「tears」は離ればなれになった仲間を想う気持ちを優しく可愛らしい言葉で軽快に歌い上げているが、しかしその反面、SEKAI NO OWARIでのFukaseは常に“正義”や“正しさ”への疑問を歌い続けていた。

SEKAI NO OWARI「tears」

 その姿勢がもっとも顕著に表れているのは、ファンの間でも人気の高い「ANTI-HERO」と「Death Disco」の2曲だろう。発表時は全英語詞という点からも注目を集めた「ANTI-HERO」では普段の柔らかなハイトーンとは打って変わって低く抑揚のないボーカルで淡々と“ヒーロー”という存在への不信感を表現しているし、「Death Disco」はよりストレートな日本語詞で世間一般に言われる“正義”やそれを信じることへの疑念を、幾重にもレイヤーを重ねたようなエフェクトボイスで早口にまくし立てている。その声音は確かに少年のような、いつものFukaseの声そのものではあるが、緊迫感を纏い、硬質な響きを持って耳を塞ぎたくなるほどの歯に衣着せぬ言葉を投げかける歌声は、最早「天使のような声を持つ少年」のそれではない。

 そのほかにも「Food」「LOVE SONG」「Error」など、倫理観や常識を揺るがすかのような言葉を歌い上げた楽曲は多く、SEKAI NO OWARIの作風のひとつの根幹を成していることは明白だ。そして、そのような楽曲を表現する際のFukaseのボーカルが持つ“イノセントな狂気”こそが、『キャラクター』で彼の演技が多くの人の心を惹きつけている理由なのではないだろうか。

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