スカーレット・ヨハンソンが提示する喪失の先の歩き方 『ブラック・ウィドウ』までを辿る

女の一生というテーマ

 『アイアンマン2』(ジョン・ファヴロー監督/2011年)以降のスカーレット・ヨハンソンは、それがキャリアにおいて、やり残したことであるかのようにアクション映画に活躍の場を移す。ビッグバジェットの作品に出演する一方、野心的な小さな作品にも出演するレンジの広さを常に保っている。このレンジの広さにおいて、『ブラック・ウィドウ』は、ナターシャ・ロマノフの集大成であるだけでなく、スカーレット・ヨハンソンのこの10年間の集大成として有終の美を飾る。

 『ブラック・ウィドウ』では、アベンジャーズを「家族」と呼んで連帯するナターシャの、「本当の家族」と女性たちの連帯が描かれる。『ジョジョ・ラビット』(タイカ・ワイティティ監督/2019年)の母親役。同年の『マリッジ・ストーリー』(ノア・バームバック監督)で描かれた、離婚を決断する夫婦。あるいは、女性の連帯を痛快なブラックコメディとして描いた『ラフ・ナイト 史上最悪!?の独身さよならパーティ』(ルシア・アニエロ監督/2017年)。これらの傑作群を通して、近年のスカーレット・ヨハンソンが「女の一生」という大きなテーマを志向していることがよく分かる。

『マリッジ・ストーリー』Netflixにて配信中

 『ブラック・ウィドウ』には、ナターシャがドレイコフによって一方的に暴力を振るわれるシーンがある。「女の子の前でしか威張れないのね」と、ドレイコフを挑発するナターシャ。このシーンを組み込んだケイト・ショートランドは、観客が暴力に対してどのように感じるか、男性による女性への暴力の悲惨さがどのように見えるかを敢えて問いかけたかったのだという。このことは映画において、暴力を映さないことと暴力を隠してしまうことは違う、という問いかけにもなっている。女性の連帯により暴力への抵抗と反撃を提示してみせるケイト・ショートランドの作戦は見事だ。

『マリッジ・ストーリー』Netflixにて配信中

 『マリッジ・ストーリー』では、観客にとってお互いにグッドパーソンであるにも関わらず離婚しなければならない夫婦が描かれている。本作ではパートナーに対する精神的な暴力をお互いの内側に抱えていて、ある日、それは激しい言い争いの中で決壊の時を迎える。決壊を迎えた後、お互いに泣き崩れながら謝るシーンに様々な余白が生まれる。夫婦としてこれまで過ごした時間。幸福だった時間。そして二度と取り返しのつかない感情。『マリッジ・ストーリー』の夫婦は、第三者から見ても、本人たちにとっても、お互いに白黒をつけられない夫婦だ。それでも彼と彼女は、お互いのこれからの人生のために別れを選択する。

『ジョジョ・ラビット』(c)2019 Twentieth Century Fox

 そして、同じく靴紐を結ぶシーンが素晴らしい『ジョジョ・ラビット』で、スカーレット・ヨハンソンは、ドイツ戦時下に生きるシングルマザーを演じている。母親という役割を演じるために無理をする一人のハンサムウーマンの情緒と、理解のできないガールフレンドについて勉強する少年の懸命さ。少年は、ガールフレンドから「女性」について学んでいくが、その過程は同時に母親の本当の姿を知っていく過程でもある。戦争によって瓦礫の町となった路上で、クレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)は、「大丈夫だ、坊や。君は大丈夫」と少年を励ます。このシンプルな言葉は、「あれだけ反骨精神とユーモアに溢れた素敵なママに育てられたのだから、君はこれからも生きていける」という、この美しい作品を見た観客からの少年への励ましの声を代弁しているかのようだ。

 スカーレット・ヨハンンソンは、スクリーンを介して、何かを喪失した後、それでも続いていく女性の人生の断片や、生き方のヒントを提示する。『ジョジョ・ラビット』での、少年のガールフレンドと少年の母親が話すウィットに富んだ会話を思い出そう。

「大人の女性って何?」
「嬉しいときも悲しいときもシャンパンを飲むこと。男を愛し、苦しませること」

■宮代大嗣(maplecat-eve)
映画批評。ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、キネマ旬報、松本俊夫特集パンフレットに論評を寄稿。Twitterブログ

■公開情報
『ブラック・ウィドウ』
映画館&ディズニープラス プレミアアクセスにて公開中
※プレミアアクセスは追加支払いが必要
監督:ケイト・ショートランド
出演:スカーレット・ヨハンソン、フローレンス・ピュー、レイチェル・ワイズ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)Marvel Studios 2021

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